ナチュラル社作出ステーションから

第1陣250羽が間もなく到着

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    アントワープ市郊外に広がるナチュラル社の作出ステーションと博物館




 昨年3月11日の東日本大震災から1年が経過した。震災直後には復旧復興支援のために様々な活動や申し出が成されたが、その中にはすぐに実現出来ないものもあった。例えばこのナチュラル社からの500羽の鳩提供の申し出である。

 被災者にとってはまず失った家族の慰霊、行方不明者の安否の確認、そして生き残った者の生活の回と復が急務であったのだから、鳩どころではなかったであろう。しかし復興の槌音と共に熱心な鳩飼いの中には飼育再開の熱望も高まってきた。そこでこのナチュラル社の温かい申し出も活きてきたのである。

 さてナチュラル社とは何か、そしてその作出ステーションではどのような鳩が飼育されているのであろうか。

 ナチュラル社は、レース鳩の飼料メーカーとしては世界最大であろう。(家畜飼料も含めれば、ベルギーでは他に大きなメーカーもある) 日本にもその飼料は輸入されているが、一番の特徴は、その有する作出ステーションであろう。

 この作出ステーションは、ベルギー・アントワープ市の郊外セント・アントニウスの広大な敷地にあり、約10,000羽強の種鳩が飼育されている。ハンドラーの数だけでも30人余りだ。 創設は1955年からで現在までの57年間には既に50万羽の鳩が世界中に供給された。2011年実績でも27,392羽の鳩が供給されている。これらの鳩は、数十もの血統から成り、その血統別に各鳩舎に収容されている。一角には性能検定の為と、マネージャー個人の選手鳩鳩舎もある。また建物の一角にはレース鳩、伝書鳩、軍用鳩の博物館も併設されている。

 その規模の大きさから最初にここを訪れた人々は、正しく圧倒され、鳩の工場ではないかといった第一印象を受ける。

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      血統別に分類され飼育されている鳩舎が並ぶ




 しかしその飼育内容を細かく観察すると、実に良く管理されているのが分かる。水はランニング・ウォーターで、床は全て金網のスノコである。飼育されている全鳩が丸々の糞をしている。それはそうであろう。

 もし1羽でも病気にかかったら、このような閉鎖された鳩舎では、たちまちの内に蔓延してしまう。そしてもしそのような状態になれば、飼料メーカーであり、中国では巨大な鳩医薬品メーカーでもあるナチュラル社の信用は、失墜してしまいます。だから多い時には2万羽近い鳩が、全て健康でなくてはならないのだ。




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     地中に埋設された水道管からのランニング・ウォーター




 この作出ステーションの創設目的は何か。これらの鳩は、一般的には1羽50ユーロ(約5,500円、但し、血統書はなく血統名だけのカードが添付されるのみ)で販売される。またナチュラル社の飼料を定期的に購入している人々は、半額で購入出来る。また血統書つきの鳩も販売されないことはないが、それらの鳩は当然少し高額になる。それは鳩を飼育したくても経済的に余裕のない人々が、手軽に鳩を購入出来るようにするのが目的である。鳩の販売が目的ならもっと高額にするべきであるが、ここの作出ステーションは、あくまでも初心者や裕福でない飼育舎をサポートし、少しでもレース鳩の飼育を普及するためなのである。

 2極化された鳩界では高価な鳩が生まれる傾向が生まれているが、一方これから飼い始めようという新人は、高価な鳩には手が出ない。そこでこの作出ステーションの存在意義がある。現在はベルギー国内の鳩界も規模が小さくなってしまったが、それでも毎週日曜日には、ドイツからバスに乗った鳩飼いが数百人単位で訪れる。

 ではこの作出ステーションで作出され、外に出た鳩はどんな活躍をしているのだろうか。ここで作出された鳩をじかに飛ばしている人々もいる。

 例えば昨年、ベルギーのベールセに住むウィリー・ファンティローは、作出ステーションで作出された若鳩B11-6022464を使翔し、6回のレースに上位入賞させたが、最後のラ・スーテレーヌNレース616Kでは、参加16,665羽中総合21位であった。またテルフューレンに住むルイ・アルブケルケは、2羽の若鳩B11-6000932とB11-6000924をトゥーリー347Kに参加させ7位と9位に入賞している。

 オランダのデン・ボッシュに住むゲリー・ファンコイレンは、3×2メートルというミニ鳩舎で、種鳩鳩舎さえないが、昨年ナチュラル社作出ステーションに10羽を注文し、その中にはB11-6008609がいた。この鳩は最初の4レースに入賞した後、最後の8月13日のナントイル338Kのレースで参加6,414羽中総合優勝したのである。

 ベルギー・ラウワに住むロベルト・デュハメルは、長年短中距離レースに強かったが、近年長距離レースに挑戦するようになった。そこで2009年8月に3羽の鳩B09-6366375、6366573、6366735を作出ステーションから導入、昨年2才でバルセロナに全3羽を参加させ、クラブ132羽中5、11、13位、プロヴィンシャルでも1,833羽中135、224、235位に入賞した。しかもこの最後の735は、4週間後のペルピニャンNレースにも参加し、N5,591羽中総合559位に入賞したのである。

 オランダのフォルストに住むフレンク・ワーゲナールはこう語っている。

「栗のブリクーB11-6007053は、僕を凄く喜ばせてくれました。7月30日の若鳩レースは、まだ(Wシステムに入る前で)巣を持たせて参加しました。最初のフェンローからの100Kレースで、向かい風の厳しいレースでした。(分速968メートル) そこで彼はクラブで優勝し、アッペルドールンの連合会でも3,181羽中優勝しました。ゲルダー・オーヴァーアイセルセ連盟では若鳩と成鳩が一緒でしたがその中でも9,635羽中総合9位に入賞しました。8月20日のレースにはWシステムのやもめ状態でレース参加しました。それでまたやったのです。ポメロイルからのレースで、凄く早いレースとなりました。(分速1467メートル)、クラブで1,989羽中14位、総合では5,430羽中52位でした。夢の始まりです。6羽の栗のブリクーの導入で、最初から成功したんです」

 しかし作出ステーションの作出鳩を直接レースに参加させるというのは、一部の人々である。大抵の人は、それを種鳩としてレースしているのである。

 その結果、ナショナル・レースや国際レースだけに限っても、以下のような成績が生まれている。

1981 アリカンテ国際1300K1,487羽中総合優勝 オスカー・デロアンヌ(ベ・リブラモン)

1982 マルセイユN700K1,183羽中総合優勝 グスタフ・ダウフィン(ベ・アーロン)

1983 ペルピニャン国際900K3,541羽中総合優勝 ルク・デヘースト(ベ・ニノヴェ)

1984 ブールジュN400K9,975羽中総合優勝 マリオ・ケプスキー(ベ・モンス)

ベルジェラックN北900K12,817羽中総合優勝 ゲールト・ティーメス(オ・ディダム)

     ラ・スーテレーヌN500K5,753羽中総合優勝 ピエール・ジェネキン(ベ・バイヨー)

1987 ポー国際900K4,928羽中総合優勝 アントンイェデム(ド・メルツィッヒ)

     ブールジュN450K雌の部1,013羽中優勝 W&J.ファゴット(ベ・ネテン)

1988 ラ・スーテレーヌN500K2,550羽中総合優勝 ギー・カペレ(ベ・ディナン)

1989 ペルピニャン国際900K10,892羽中総合優勝 M.ケステラインズ(ベ・ゾテゲム)

1990ダックス国際900K4,730羽中総合優勝 フレデリック・フェルナンド(ベ・ブレーリース)

1992 ペルピニャン国際850K17,331羽中総合優勝 ミッシェル・ペテラック(フ・デュイダン)

     ブリーブN680K雌の部1,242羽中優勝 アンリー・ティーンポン(ベ・サンマルテン=ラテム)

1993 ダックス国際1000K9,163羽中総合優勝 ライムンド・ヘルメス(ド・ハム/ジーグ)

1997 ブールジュN450K11,396羽中総合優勝 ガストン・ファンフロイエンホーヴェン(ベ・ボウターゼム)

1998 マルセイユ国際700K19,968羽中総合優勝 アンドレ・グエブ(フ・ロンシャン)

ラ・スーテレーヌN500K7,419羽中総合優勝 アーロー・エンリケ=クンナ(ベ・ワルツィング)

1999 アントワープN1,021K5,420羽中総合優勝 J&J.ズィーゲウルスキー(ポ・ダンスク)

2002 マルセイユN897K5,352羽中総合優勝 ホルスト・ワスムス(ド・ボッテンドルフ)

2005 南ア100万ドルレース・エース鳩第1位 デスカイマーカー兄弟(ベ・アントワープ)

2006 ヨーロッパ・クラシック・エヂンバラ・レース480K1,277羽中優勝 同上

2008 マルセイユ国際レース736K13,954羽中総合優勝 クリスチャン・ベロア(フ・ミジアック)

2009 ガスパ・ヴィラノヴァ・ポルトガル大賞275K898羽中優勝 マーダー(ドイツ)

2010 スストーン国際872K10,195羽中総合優勝 M.ファンデールベーケン(ベ・オーヴァーブーラーレ)

2011 タルベ国際レース730K10,656羽中総合優勝 ミッシェル・マスカール(フ・ブルネル)

     KBDB若鳩中距離Nエース鳩第1位 ルディ・ディールス(ベ・ベールセ)

 これらの成績は、不完全である。何故ならナチュラル社作出ステーションで作出された鳩の子孫であると、作翔者が知らせてくれないと分からない場合が多いからだ。

 これらの中から分かっている昨年の2例だけを紹介しよう。

 昨年のタルベ国際レースは、持寄りから放鳩までが1週間かかった。しかも天候が悪く本来の放鳩地タルベより近いアゲン(実距離730K)に戻され、放されたことでも分かろう。

 優勝したのは、フランスブルネルに住むミッシェル・マスカールの雄F08-273528であった。09年、10年とレースし、11年にはモンリシャール386K1,555羽中77位、シャトードゥン307K1,370羽中59位、ナントィル156K707羽中優勝の後1月休養の後、タルベ国際で総合優勝を飾ったのである。この鳩の全兄弟F08-273521も素晴らしいレーサーであるが、これら2羽の祖父B03-6001770がナチュラル作出ステーション作のモイレマンと同じく作出ステーション作のファンライン=クルックの雌から作出された鳩であった。

 ベルギーのルディ・ディールスは、昨年ベルギーで最も活躍した1人であるが、彼の“ブルー・ゴールド”B11-6023005は、次のような成績を挙げた。

7-09アンジェルヴィル392K2,305羽中3位

7-16 オルレアン433K4,873羽中77位

7-23 アンジェルヴィル2,063羽中優勝

8-27 アンジェルヴィル336羽中優勝

 そしてNエース鳩第1位となったのである。この“ブルー・ゴールドの父B07-6007324は、ナチュラル作出ステーションで作出されたが、この鳩はデスカイマーカー系の基礎鳩“69”(ファンダイク・エンゲルス系)の孫である。

 ここに少し紹介したが、ナチュラル作出ステーションの鳩は、あちこちで見事に活躍している。これらの子孫が日本の東北の被災地の空で活躍するべく、250羽ずつ2回、500羽贈られてくる。

 1日も早い活躍を期待したい。                        

                                           吉原謙以知

 人間は、時としてつらい現実に直面しなくてはなりません。我々が鳩界に身をおく以上、鳩界の持つそういった面も理解しなくてはなりません。それを克服しなくては未来がないからです。 鳩界人にとってつらい現実とは何か。それは鳩界の衰退です。

しかし同時に鳩界の質的変貌も理解しなくてはなりません。一般社会が、変貌しつづけるように、鳩界も変化しています。

このつらい現実と正面から向き合い、鳩界の変化を正面から理解しなくては、未来の鳩界の構築はありえません。

  実際にどのような変化が起こりつつあるのか、紹介してみたいと思います。

                                            吉原謙以知

 ウェブサイト・ピパの行ったオランダ・ペーター・フェーンストラのインターネット競売が、200羽の鳩を190,000ユーロという、すなわち1羽100万円平均という結果に終わり、話題になりました。中でも“ドルチェ・ヴィタ”という雌は、25万400ユーロで、中国の富豪が落札しました。

 その同じピパで、最近ひとつのスキャンダルがありました。それはヨハン・ファンダムの“ロコ”B05-433360 B ♂という鳩です。

 この鳩は、数々の素晴らしい成績により、2009年のKBDB(ベルギー王立鳩協会)主催の長距離Nエース鳩第7位に選出され、更に2010年5月29日のブリーブNレースで総合優勝しました。

血統的にもド・ラウ=サブロン×カレル・フフケンスと理想的です。そこでこの鳩は、ピパの仲介のもと、昨年秋同じく中国人の富豪ウー・シン氏が購入したのです。

 その金額は160,000ユーロ(約1800万円)でしたが、この時購入者のシン氏は、このロコにロコの娘を1羽10,000ユーロで抱き合わせにして購入したのです。

 シン氏は、このロコを勇躍して中国で交配しました。ところが1番仔は無性卵で孵化せず、2番仔も駄目、そして3番仔も駄目でした。鳩の中には、環境が変わるとなかなか仔がとれない鳩もおります。ウー・シン氏は、それでも雌を換え、作出を試みました。しかしやはり結果は同じでした。

 そこへたまたまベルギーBIFSのファンデールザンデン博士が中国を訪れました。ファンデールザンデン博士のBIFSは、レース鳩の人工授精でも有名ですが、同時にDNA鑑定による血縁関係の判定も行います。

 そこでウー・シン氏がファンデールザンデン博士に鑑定を依頼したところ、何とロコの精子には繁殖能力がないことが判明したのです。つまり彼がロコと娘を買ったにもかかわらず、その雌は、ロコの娘でも何でもなかったのです。

ファンデールザンデン博士は、BIFSとしての無精子症の鑑定書を発行しました。幸いなことに、ウー・シン氏の支払った金は、まだヨハン・ファンダムが使用しておらず、返金してもらうことが出来ました。またピパもその仲介手数料他を弁償したのです。そしてピパでは、今後高額の鳩のトレードには、DNA鑑定書を添付すると発表しました。

とどのつまりはヨハン・ファンダムの詐欺ということになったのですが、事件はこれで解決をみたわけではありません。

何故ならロコがトレードされる前に、ヨハン・ファンダムは、ロコの直仔を多数販売していたからです。有名なCC氏は、何と直仔を10羽も購入していました。それも全て偽物になってしまったのです。

この事件は事件として、いずれ解決するでしょう。しかしインターネットの普及が、鳩界にもたらした変化を無視することは出来ません。

 もうひとつの例を紹介しましょう。最近、ベルギーのアンドレ・ロートホーフト氏を訪れたイギリスの愛鳩家が、同氏から1羽のマルセル・アエルブレヒト作の鳩を見せられました。

「この鳩は、私が競売で落とした鳩で、悪い鳩ではないがもう要らない。貴方が欲しいなら、競売で落とした価格250ユーロで譲ってあげる」

 現在、ベルギーをはじめ台湾や中国では、マルセル・アエルブレヒト、ド・ラウ=サブロン、あるいはジョルジュ・ボレ鳩舎の鳩の人気が高まっています。

喜んだ英国人愛鳩家は、その鳩を譲って貰い、帰途につきました。

しかしその帰途、ピパのヘイゼルブレヒト氏に立ち寄り、その鳩を見せる成り行きになりました。するとピパのヘイゼルブレヒト氏は、

「貴方の購入した価格にプレミアをつけるから、この鳩を譲って貰いたい。」

と申し出ました。提示された価格は、1500ユーロ。イギリス人は何もしないで10万円以上儲かるのですから、喜んでその申し出に応じました。

ところがヘイゼルブレヒト氏がこの鳩をピパのネット・オークションにかけると、何と25,000ユーロもの値がついたのです。やはり中国人でした。

鳩界人口が減少する一方で、インターネットの普及で鳩の世界も小さくなり、とてつもない金額の鳩が売買されるようになりました。

 これが鳩界にとって悪い傾向であると指摘するむきも多くなってきました。

第一に、鳩があまり高額になると投機の対象となり、紙に頼って売買する人々が増え、スポーツの精神が失われかねない。つまり鳩の売買をする為には、本来自分の選鳩眼を磨き、価値を判定しなければならないのに、金額の多寡や紙に書かれている内容で何もかも決まってしまう。

 第二に鳩界が育たない、尻つぼみになってしまう、というものです。現在、ベルギー鳩界が衰退している最大の原因は、賭け金レースにあると言われていますが、これと同じ事です。

 つまり鳩レースを純粋に趣味として楽しもうとする人々は、余り鳩にお金をかけません。しかし賭け金レースの結果、勝ちたいという人々はそれだけ鳩に投資をします。

素晴らしい環境の広い土地に、理想的な鳩舎を建て、高価な鳩を集め、優秀なハンドラーを雇います。つまり完全なプロ化です。これでは鳩レースを純粋に楽しもうという人は勿論、新人が参入出来る余地はない、という考え方です。

  KBDB会員数の推移

このようにインターネットの普及で鳩界が変質しつつある中、これらが会員減少の本当の或いは唯一の原因かどうかは、判断の難しいところです。しかしベルギー鳩界の衰退は事実であり、目を覆うばかりです。別表をご覧になれば分かる通り、KBDB(ベルギー王立鳩協会)の発表した会員動向の推移を見ると、会員数の著しい減少が分かります。また僅かですが、それに反比例するように鳩舎の大型化傾向も読み取れます。

第一次世界大戦前には20万人を数えたという鳩王国の会員数は毎年減少の一途を辿り、筆者が鳩の飼育を始めた当時の4分の1となってしまいました。毎年2000人近く減少し、脚環発行数も極端に落ちております。

特に年齢構成を見れば分かる通り、ここ3年連続、会員の中核を成しているのが70〜80才です。そして会員の6割以上が60才以上です。そして20才未満の飼育者数は、いつゼロになってもおかしくありません。2020年前に会員数が2万人を割るのは間違いないでしょう。

またこの表からは分かりませんが、協会予算の減少は運営を大きく圧迫しています。それと現在KBDBは、ここ3年間に顧問の法律事務所に支払う金額が急増し、これも協会を苦しめています。

ベルギーの協会も、会員数の減少にただ手を拱いている訳ではありません。青少年競翔家の育成の為にいろいろ施策はほどこしているのです。

しかし社会の変革、鳩界の変質、そしてそれ以上に予算の減少等の手枷足枷があって、思うに任せないのが現状のようです。

 ヤン・ヘルマンス氏によれば、2011年末の時点で、ベルギー、オランダには、それぞれ尊敬すべき競翔家がいるという。
 ベルギーではレオ・ヘレマンス、オランダではコール・デハイデの2氏だ。尊敬すべき競翔家という意味は、彼らが何もナショナル・チャンピオンになったとか、それぞれの国で一番の競翔家になったという意味ではない。
 レオ・ヘレマンスの場合、かつてヘレマンス=コイスタース名で一世を風靡したが、全鳩処分の競売後、1人になったにも拘わらず僅か5年で見事なカムバックを果たした。
 またコール・デハイデ氏の場合には、2度にわたる盗難に遭い、その都度大半の主要種鳩を失い、鳩レースを止めようと思ったにも拘わらず、見事な復帰を遂げ、しかもその血筋の活躍は、他の多くの鳩舎に及んでいる。そして自身昨年も素晴らしい成績であった。

 そこでド・ダィフ紙では、昨年末コール・デハイデ氏を特集で紹介したのに合わせて、弊社もその記事を再構成して紹介してみたい。   
                                      吉原謙以知

   

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最初に同紙の掲載したのは、同氏に対するインタビューである。しかしそのインタビューを紹介する前に、筆者の知る範囲での同氏のプロフィールを紹介しておこう。コール・デハイデ氏は、オランダでは有数の建築会社のオーナー社長である。オランダ南部ブレダー市の北郊マーデに住居を構え、筆者が延べ10回ほどお目にかかったかぎり、必ずスーツにネクタイ姿で、それ以外の服装を見たことがない。ちなみにこのような人物は、オランダ、ベルギーの鳩界では他に誰も知らない。非常に温厚物静かで、典型的な紳士である。それではインタビューに入っていこう。

DD(以下、ド・ダイフ紙インタビュアー) そもそもコール・デハイデさんは、一体誰?どんな人物なのでしょうか。
コール (少し考えた後)ごく普通の生まれの、ごく普通の男です。ただ少し実現したい夢を持っていたという意味で幸運な男でしょう
DD で、夢は叶いましたか。
コール ホー、まず最も大切な点では。つまり温かい家庭と、仕事の上での成功。それにそれ以外の楽しみ(鳩レース)ですね。
DD なるほど、ではその美しい三つのテーマについて。その家庭生活から話して下さい。それが一番大切ですよね。

コール それは全く疑問の余地無しです。私自身、7人兄弟の1人として生まれました。父親は大工、母親は主婦でした。両親は、子供たちに恵まれていました。それは戦後の貧しい時代で、誰でも若いうちに成功のチャンスを求めていました。しかし我々は、裕福で恵まれていました。
 私自身、幸運にもトニー(夫人)と結婚出来ました。我々には2人の娘がいます。私たち夫婦が誇りとしているモニークとイングリッドです。その内に我々は4人の孫を持つ祖父母になりました。モニークの許にはニックとクィンティン、そしてイングリッドの許にはセナとイェッセが生まれました。これは人生で最も幸せなことです。彼らは我々の未来であり、願いであり全てです。
DD 今、おっしゃられた名前は、貴方の鳩の名前にも見出せますね。
コール 確かに。モニークは、ナショナル総合10位、12位を飛び、イングリッドはナショナル総合12位の成績です。
DD すると我々が知っているドン・ミッシェルやドン・ジョンは貴方の祖先ですか?
コール (笑いながら)いやいや。彼らは我々の娘婿の名前です。やはり悪い鳩ではないですよ。ドン・ミッシェルはナショナルで4回100位内に入賞し、2回ZLUのナショナル・エース鳩となりました。ドン・ジョンもダックスN総合3位他の成績です。何故ドンという高貴な称号の名前にしたかというと、ドン・ジョンもドン・ミッシェルに劣らず優れた種鳩だからです。

 これはもちろん他の人の場合にもあてはまることです。例えばフランス・ブンゲネールスがバルセロナNで総合優勝した時、その名前をクィーン・トニー(コール・デハイデ夫人の名前から命名)としてくれましたし、エティエンヌ・メイルラーンは、彼の国際エース鳩第1位鳩をド・コールとしてくれました。これはもうお分かりでしょうが、私の鳩で成功された方々です。

DD コール、貴方は、既にチャンピオン鳩を作る為の繁殖者として偉大な概念となりつつあります。そこまでされるのに、家族に対しても充分な時間を裂けたのですか。
コール 勿論です。時間はあるのではなく、作るものです。ただ家で座っているのではなく、よく話をするのです。しかし予め計画して時間を作るとかはしません。仕事をきちんとしようとすれば、それは無理です。仕事も家庭も何もかも全てバランスよく時間をとるのは、殆ど無理です。ただ家庭にいる時間は、それなりに大切にするだけです。私は家には殆ど仕事を持ちこみません。
DD しかし更に鳩レースにおいても常にトップの座を維持するとなると、余計大変です。例えばバカンスなどはどうされるのですか。お孫さん達と遊んであげる時間はあるのですか。
コール 申し上げた通り、時間は作らなければありません。
DD コール・デハイデ氏のバカンスの間、また何日か他出される際は、会社の方はどうなのですか。
コール 勿論、何でもありません。建築会社の組織として動いていますから。今、私は会社の仕事には直接には係わっておりません。重要な決定事項でさえ、私がいなくても決まるようになっています。
DD それでは、話を最初に戻しましょう。自己紹介からお願いします。

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コール では家族のことから始めましょう。私は1945年、戦争直後に生まれました。今と異なり、若いうちから働かなくてはならない時代でした。12才でもう専門学校に行き、大工としての基礎知識を勉強しました。そして14才で既に建築現場に立っていたのです。仕事が好きでもあり、覚えるのも早かったです。またよく数字を扱うようにもなりました。これも私の得意な分野で、だから建築がライフ・ワークとなったのです。

DD それから、
コール 私は経験を積み、そして常により大きな建築に携われるようになりました。それと同時に向上心も増しました。だから私は、15才から23才まで夜学に通うようになりました。8年間、週に2、3回の通学です。私は建築請負業者になりたかったけれど、それには他の人に負けてはならなかったのです。それで実践と同時に知識を身につける為に学校に通いました。
 そして夢を実現出来る時代がやっていたのです。私の雇い主が、私に独立しないかと言ってくれたのです。
DD それは素晴らしい選択肢だった?
コール 本当にそうでした。1980年頃のことです。それは経済恐慌の時代でもありました。特に建築業界はひどかった。誰も待っていても建築請負の仕事など来ませんでした。私が、今や自分で始めなきゃと思った時、私は35才でした。娘達は11才と8才でした。私は暫くトニーと、そして家族や私の周りの人間と、その事を深く話し合いました。
DD そして生きる為に船出をしたと。
コール そういうことです。でもそれはけして馬鹿げた飛び込みをした訳でも、投資でもありませんでした。きちんと計画して、着実で地に足のついた規模で始めたのです。
DD 良い計画プランというのは、それは建築においては勿論重要なファクターでしょうから。
コール 良い計画プランは、建築の半分の要素です。しかしこれは他にも当てはまります。人生にも、そしてピジョン・スポーツにも。
DD 見事な計画とは何でしょう ?

コール 何事も最初の考え方、基礎哲学が大切だと思います。私の基本的な考え方というか理念は、まず企業を常に健全な状態に維持し続けることです。それは顧客が常に満足出来る状態に企業を保つことです。どのようにしたら顧客の満足を得られるか、それは顧客が期待している以上の仕事を成し遂げることです。それは予算の範囲内で、時間や方法を工夫することで出来ます。そうすれば満足出来る結果が期待出来ます。それから次に第二の、そして同様に大切なことは、全ての階層の社員が満足して働けるように気配りすることです。そうすることでお互いが尊敬の念を持って働くことが出来ます。
DD それは素晴らしいフィロソフィーだと思います。貴方はそれを長年にわたって実現出来たとお考えですか。
コール そう思います。これまでにうちの会社は125名を越える社員となりましたが、同業他社と比べても遥かに少ない離職者しか出しておりません。そして顧客もかなりの大手企業が固定客となってくれております。
DD 社員125名というのは、大きな建築会社ですね。
コール この他に、うちの関連企業の従業員が数百人いるのですが、もちろん皆一緒に働いている訳ではありません。会社と同時に会社の構造も大きくなりました。現在は、株の保有会社という形で4つに専門化というか、分社化しているのです。でも理念は一緒です。それと同時に私も発展させて貰うことが出来ましたよ。(笑い)
DD 貴方が築き上げたこの企業文化を、一言で言えば「尊敬」ですか。
コール はい。基本理念ですね。言いかえると二つの言葉に象徴されます。(社員相互の)尊敬と、連帯です。我々がこれまでに到達したのは、我々皆で到達したのです。だから私はウチの社員のどの階層に対しても尊敬しています。
DD 貴方の企業名LZズワルーヴェ(燕の意味)は、どのように命名されたのですか。
コール 難しく考えたのではありません。ラーガ・ズワルーヴェは、丁度私の住むマーデ同様、ドリンメレン地区の一部です。ブレダー市の北8キロの所の地名です。そして全てがそこから始まりました。創業時の事務所、というよりむしろ当時は物置でしたが、それに中古品の事務用家具をおいてスタートしたのです。正式名称は、ラーガ・ズワルーヴェ=建築請負会社です。そこからLZ。しかし通称はズワルーヴェで通っています。現在は全ての建物が、国内2ケ所に移転しました。
DD 私は貴方がてっきり燕、鳩と鳥が好きなのかと。
コール そんなことは考えたこともありません。実際、仰っしゃられた通り、鳥は好きですがね。子供の頃から鳥に対する親近感は強かったですよ。遊び友達が知らないことも知っていました。ずっとよく馴れたカササギだのカラスだの或いは森バトだのを飼育していました。そして父親から貰った若鳩は、肩に乗せて歩き回っていましたよ。
DD それは貴方が、今現在多くの鳩飼いとどこが違うのかを探る手掛かりになるかも知れませんね。多大な責任を負う仕事との兼ね合い、つまり失敗せずに仕事をキチンとこなしたという。
コール いやそれは一番うまくいきましたね。私は丁度よい距離を保てたのです。ストレスは健康にも良くありません。私はそれを補うバランスが凄く大切だと思います。例えば鳩は私にとって完璧な排気弁の役割を果たしてくれます。しかし同時に多くのスポーツもやったのですよ。テニスに柔術、柔道。
DD 話がスムースに鳩レースに来ましたね。ピジョン・スポーツは、決してストレスになりませんか。勝ちたい、負けたくない、期待の鳩が帰って来ない・・・。
コール 眠れないこともあるのだということも話したいですね。それは私、いや我々家族全てにとってでしたが、30年間会社の仕事は順調に来ました。しかしこれはその間厳しい時が無かったという意味ではありません。家の外には鮫やオオカミがいて、我々は2回もそういった悪い犯罪者に遭遇しました。それが眠れない結果(鳩の盗難)となったのです。
DD 彼ら犯罪者が貴方の鳩を盗んだ経緯について少し触れてくれますか。
コール 凄く似たケースでした。彼らが最初に私の鳩を盗んだのは1998年1月でした。私はもう殆ど立ち直れないほどで、完全に意気消沈していました。しかし暫くすると杖を振り回せるようになり、同時に大抵の人々は良い人達だという考えに立ち直れたのです。
もともと私は鳩レースに於いてと同様、仕事でもポジティブな人間です。そうでなかったら二度と笑顔が取り戻せなかったかも知れません。
DD 痛みは完全に癒えましたか ?
コール 盗難が遭った後、私は随分と多くの支援や友情を知ることが出来ました。私の周囲の人や近隣の友人も遠くの友人も含めて。それだけ多くの実際に私を助けてくれようとした友人達を持てたということは、ひとつの美徳です。彼らは実際によく私を助けてくれました。私はこのことを忘れませんし、何かあったら、彼らも私を頼ってくれてよいのです。
しかし貴方の質問に答えるならば、その通りであれば良かったのですが。2009年の2回目の盗難で、信じられないほど多くの鳩が盗まれてしまったのです。残念ながら今では知らない人を鳩舎に伴うのは止めました。彼ら盗人は、2回私の鳩を盗んだだけでなく、私からピジョン・スポーツの楽しみも奪ったのです。他の鳩飼いと本当の意味でよく一緒に鳩を見る、というのはウチでは殆どしなくなりました。自分でも残念なのですが、彼らが私に選択の余地を与えなかったのです。
鳩舎もそうです。見れば分かりますが、まるで監獄です。スチール製のスノコ、窓枠、ドア、壊されない鍵、ハンマーで叩いても割れない窓ガラス。それにアラーム装置。
一種の名誉税と諦めてはいますが。
唯一幸運なのは、例えばベルト(彼の鳩舎ハンドラー)やルイー(コールの弟)と一緒に、鳩レースを楽しめていることです。
DD 質問を戻しますが、鳩レースで勝ちたい、或いはもっと勝とうというのはストレスにはなりませんか ?
コール 鳩レースは、私にとって本当の気晴らし目的なのです。私にとって趣味ではありますが、それはだからといって勿論アマチュアで満足するという意味ではありません。何かをする以上は、ちゃんと成し遂げないと満足出来ないのです。幸運も必要ですがね。
DD しかし貴方が仕事の上でと同様に、鳩レースでも手抜きなくやろうとしているのは、素晴らしいことですが、そこには共通点はありますか。その到達したレベルの鳩質と仕事の上での品質、そういったものが成功の秘訣でしょうか。
コール それは普通にイエスと答えましょう。しかしだからといって一つの公式を示せる訳ではありません。私はそれが一番良いと思えることを普通に実行しているだけです。
DD ちょっと待って下さい。貴方は鳩レースにおいても計画や目的を明確にした上でスタートしたのですね。
コール 勿論です。私は、本当のところ2回鳩レースを始めたのです。なぜならLZズワルーヴェの創立時は、何も出来ませんでした。当時も鳩はいましたが、かまっている時間はありませんでした。それは1981年から90年の間です。まあ入賞はしましたが、それは運が良かったり座興的なレース参加であったり。私の関心は次第に高まり、1990年頃になってやっと自分が仕事上すべきことは達成し、鳩レースに戻ることが出来たのです。


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DD 貴方はどのようにして鳩レースに接し、また誰が先生だったのですか。
コール 私の周囲にはずっと鳩がいました。父が鳩を飼っていました。2人の叔父が鳩を飼っていました。私の同僚も自宅で鳩を飼っていました。それは全く旅行をするだとか、テレビを見るだとか、コンピューターに触れるだととかとは異なる時間でした。家では父親と短距離レースだとか、クラブのスケジュールに沿ったレースをしていました。しかし私はもっと難しい目標をたてる夢を持っていました。父親と一緒にやるのでは満足出来なかったのです。自分は最高でなくてはならない。でもウチでは鳩に感染したのが私だけではありませんでした。兄弟のルイーも鳩を飼っていたのです。
DD 兄弟で良い鳩を一緒に買いに行ったのではありませんか。
コール 最初はそうではありませんでした。しかし私は自由な時間に随分とアルバイトをし、良い鳩を買う為にお金を貯めたのです。
DD それで最初はどんな鳩を基礎鳩にしようとしたのですか。
コール 私はかなり知識に対しては貪欲でしたから、鳩レースに関することなら何でも読み漁っていました。私はそこに自分を投影しては、自分もいつかは自分の血統を創り上げるのだと、密かに夢見ていました。私が言うのは、いわゆるカトリス、ヤン・アールデン、デルバール、スタッフ・デュッサルダイン、ボスチンといった鳩舎の全盛期のことです。彼らは私の手本だったのです。

私は当時、1968年頃のことですが、ゼッゲに住むピート・ラーズロームと親しくなりました。ピートは、その頃コンクリートを補強する為に鉄筋を入れる仕事をしていました。彼は非常に熱心な鳩レースマンであると同時に、それ以上に熱心な鳩の収集家でもありました。実際のところ彼は私にとって唯一無二のヤン・アールデン系の導入責任者でした。彼は純粋なヤン・アールデンの血統を飼育している人なら誰でも、アントン・リヒテンブルグ、フランス・ゲールセ、それにクリスト・ストッフェレンといったところから鳩を導入し、その最たる例としては、当時ヘンク・ファンアグトマールやヤン・ファンドパルの鳩舎は、根こそぎ全鳩購入したのです。私は、彼が一体何羽鳩を飼育していたのか分からなかったとは思いません。しかしそれは正しく山ほど飼育していました。
DD それなら貴方はラーズロームの驚異の鳩(複数形)をご存じでしたね。有名なシリーズ入賞鳩(同一レースで上位に入賞した同一鳩舎の2、3羽)であった002と003、ド・ヴォンデルドィビン・26、ド・シュプルート、ド・フーデン・クラック。
コール 知っていただけではありません。今挙げられた鳩の全ての直仔も孫も持っていました。私はすなわち1978年に、自分のアールデン系を確立するのだという固い決心のもと、迷わずにピートのところから成鳩8ペアを導入したのです。
DD それでそれは成功しましたか。
コール 当時は駄目でした。ノーです。それは私が事業を開始した時期にぶつかり、私にとっての優先順位もまず会社でしたから。鳩レースは二の次となり、アールデン鳩舎からは家に何も生まれませんでした。それでもピートの鳩は安定して上位入賞してくれたのですよ。例えばサンバンサンN総合7位なんて。
DD それでも成功とは言えなかった。
コール それは事実です。だから1990年、私は再び固い意志で、目的の鳩を持ち帰る為、ピート・ラーズロームのもとに戻りました。私はそこで8羽を選ぶことを許され、そしてそこにクランパーがいたのです。

※注)クランパーは、P.ラーズローム作のコール・デハイデ鳩舎基礎鳩。意味は、猛禽類の1種の名称で、その猛禽類により負傷していたからこの名がついた。

DD そしてそこから知られている歴史が始まった。それ(クランパーが導入出来た事)は、幸運であったと? 宝籤で1等を引き当てたような。
コール 誰でも多少の運が伴わなくてはならないでしょう。でも自惚れでない証拠に言いたいですね。私はその頃1羽の小さな濃胡麻の雄に最も期待していたのです。当時、クランパーがそれほどの鳩になると思っていたとは言えません。しかしそれでも全てが偶然とは思えないのは、その時の8羽の内にクランパーの半兄弟1羽、半姉妹が1羽いたのです。全て異父兄弟姉妹でした。振り返ってみると、その雌がスーパー種鳩であったという事です。
DD 私の知るところでは、貴方がクランパーを導入した際、既に6才でした。彼は既に前歴を残していたのか、或いはどんな優れた系図を持っていたのですか。
コール 何もありませんでした、猛禽類に背中を負傷させられていたという事以外は。だから彼はレースに参加する事もなく、ラーズロームが彼を淘汰していなかったのが、奇跡でもありました。だから運が良かったと言えば、それは鳩にも当てはまるのです。それで私は後から血統の情報を貰いました。父親はド・500の近親で、母親はこれも殆どがヤン・アールデンのヨーピー・スプレンケルス夫人のバルセロナN総合2位の娘でした。
故ペーター・ファンラームドンクが、彼の素晴らしい写真を撮ってくれましたが、背中にコブのある写真です。彼の魅力は、正に独特でしたよ。
DD しかし貴方は、クランパーを血統で選んだのではないという事ですよね。
コール 違います。血統ではありません。また付け加えると彼は当時まだド・クランパーという名前もありませんでした。それは後から私が彼に付けた名前です。クランパーは、私が要らないような他の売り鳩に混じっていました。しかし手に持つと優秀な鳩なら備えていなければならない要件を全て備えていたのです。
DD 貴方はクランパーを選ばせた、鳩質を判断する知識を、どこで得たのですか。
コール それはまた別の話ですね。少し後戻りさせて下さい。

私は、同郷の仲間、ヘンク・デヴィールトと、ほぼ同じ年代の生まれです。彼とは鳩を通じて知り合い、友人同士となりました。私はもちろん彼の父親の名声は知っていましたし、偉大なピート・デヴィールトに会うことが、私の鳩レースの成功の為には欠かせないと思っていました。私はまさしく実際にピートに会い、気持ちが通じたのです。彼は私の若い情熱に引っ張られたのです。それに・・・、私はピートに気に入られる最高に有利な点がありました。それは私が車を持っていたことです。ピート・デヴィールトは即ち彼本人は、車の運転が出来なかったのです。(交通事故の故に)それでその役割は常に第三者か、公共交通機関に委ねられていたのです。1人からまたもう1人へ、偉大な鳩の巨人ピート・デヴィールトは、ベルギーやオランダを巡ることで、私に無数のチャンピオン鳩を掴ませる機会を与えてくれたのです。 
DD ピート・デヴィールトから多くの教訓を学んだのですね。
コール はい。しかしそれだけではありません。私は20才代で、既に多くのチャンピオンや大種鳩を掴むことが出来たのですよ。それで良い鳩を知る為にもかなり有利でした。それで自分の鑑定を克明に私のデータ・ブックに記したのです。そして傑出した鳩がどうあらねばならないか、そして外見はどうあるべきか大凡つかめるまでには、長くかかりませんでした。

DD 面白くなってきましたね。貴方は何百羽もの中から、どのようにしてクランパーを選んだのですか。
コール 貴方を幻滅させるのは不本意ですが、しかしそれを一言で言うことは出来ません。どうか私が何年間かで多くのチャンピオンを含め何千羽もの鳩を掴んだという事実に目を向けて下さい。そう私は、思うのですが、自分の選別方法を少しずつ、ほんの少しずつ身につけたのです。しかし同時にかなりの部分生まれもった部分もあると思います。それは閃きとか、直観という部分です。そしてこればかりは、説明することも伝えることも出来ません。でも・・・、試してみましょうか。
 第一印象というのは、実際非常に重要です。(取材では皆そう言うのは分かってますが、)掴んだ瞬間の感じ。バランス、固有の重み、鳩質、羽毛の豊かさ。
 良い鳩というのは、いつだって掴むのが嬉しいものです。私は例外となる鳩を知りません。
 それから次に各部です。小さい鳩ならば、それなりに纏まった筋肉を備えていること。自動車レーサーが、自分の車に強力なエンジンを載せたがるのとは、訳が違います。筋肉は長くて柔軟であるのが良いのです。特に長距離鳩はそうです。そして少しでも生き生きしていること。これは、言葉では言えません。自分で学び、感じなければ。
DD この時点では、まだ貴方は鳩を見てはいませんね。
コール いえ、少しは。鳩を掴むと同時に鳩の背中の色素の出方も見ていますし、と私は思います。鳩の羽色の色素というのは、深みがあり、温かみを感じさせ、輝いていないとなりません。それ以上、うまい言い方は分かりませんが。羽色の色素がくすんでいるとか、枯れた感じの印象を受けるのは、その血統が下降線を辿っている証拠です。そして羽毛の色素が良い場合、往々にして目の色素も良い場合が多いのです。
 (少し、脇を見ながら)我々は、これらを言葉で表現するには、語彙が貧しすぎるのです。しかしその間に、確かに我々は鳩を見ているのですよ。目も、その印象を。良い鳩というのは賢い眼差し、というか言いかえれば油断の無い眼差しをしています。彼らは備わった賢い目で、全てを観察しています。それもやはり型にはめ込むのは無理です。しかし私は、見えるアイサインだの目の特徴などよりは、ずっとその眼差しを見る方を重視します。
 それから勿論、ピート・デヴィールトが言うところの、彼の言葉を借りて言えば、バイタリティ、生きる力、エネルギーといった点。
DD それはどうなるのですか、ピート・デヴィールト風に言えば。
コール それにはひとつの指標がありますが、私は嘴を開いて見ようとした時、それを逃げるように頭を振るような仕草も好みます。
 だからと言って、何なのです。鳩質とは何なのかと。
 考えてみても下さい。私と貴方がウサイン・ボルトの隣にいたとしても、誰が私たち2人のうち1人が彼に勝てると思いますか?そこには既にレベルの違いが有り過ぎるのです。一流の鳩と二流の鳩の違いというのは、既に開きが大きすぎるのです。1羽だけを見てその違いが分からなくてはならないのです。本質的に生命力というのは、迸るほど感じられる、豊富に備わっていなければならないものなのです。
DD そうなると健康についても重要ですね。
コール もちろんです。1羽の鳩が如何に生き生きしているか、健康であるか、そして自然に強健であるか。鳩を飛ばす強力な乾電池かも知れません。生きる力、即ち動力の源ですから。
DD では我々鳩飼いは、何故全てを見ないのでしょうか。なぜ必要もない二流の鳩を沢山飼っているのでしょうか。
コール 簡単ですよ。我々は、誰だってそう厳しくいられる訳じゃないからだ。我々は良い血統の鳩を持ちたがる。きれいな鳩の写真、素晴らしい血統、チャンピオンの直仔だ、孫だ、或いは兄弟姉妹だ。私には人がインターネットで、見たこともない鳩を、その宣伝文句だけで購入するのが理解出来ません。まあ人それぞれですがね。

DD 貴方は、少ない飼育羽数でもそれを有効に駆使する確信をお持ちですね。
コール 確かに私は鳩については、まずまずの見方が出来ると思います。私が順に鳩を導入したり、交流したいくつかの鳩舎の例もあります。そして再三にわたって私は鳩質を成績も伴って、かなり向上させることが出来ました。そしてこれらの鳩舎もまたかなり幅広く活躍しています。
DD それはまた同時に貴方が実際に、ほぼ一生と言ってもよいほど鳩界のトップの成績を維持していられる理由でもある訳ですね。
コール そうでしょうね。か又は誰でも35年間、幸運にも恵まれ、良い鳩を入手出来れば同じかもしれません。貴方だって、誰かが或る日、素晴らしい当たり交配を手に入れ、チャンピオンになった人々の例をご存じでしょう。でもその一度の幸運を得ても、その当たり交配の種鳩が死んだり、売ったりしただけでその活躍は、もう続かなくなるのですよ。 
DD 貴方は、誰でも素晴らしい鳩を手に入れれば、誰でもチャンピオンになれると。
コール もしまずまずの鳩舎を持ち、普通の規則正しい管理が出来るなら、答えはイエスですね。私がなぜそう言い切れるかと言うと、私は唯一鳩質というものしか信じないからです。
DD それではレース・システム、給餌法、特別な飲み水だの錠剤を与えるだのは関係ないということですか。
コール 私に言わせればノーです。何百という飛ばし方のシステムがあり、何百という給餌法があり、それなりに結果を伴っています。私は全く単純です。全てネスト・システムで、ひとつの餌で全ての鳩を管理する。考えてもみて下さい。どんなチャンピオン鳩舎でも、どの鳩にも同じ管理をするでしょう。同じ薬だ、餌だ、舎外だ。しかし最高の鳩とそうでない鳩は、成績が全く違う。
DD それでも良い鳩舎は必要だ。
コール それはそう。乾燥していて、通風が良いこと。


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DD 過去に、2度も卑劣な盗難に遭遇したにもかかわらず、20年にわたってどうやって好成績を維持出来たのでしょうか。コール・デハイデ流作出術とは何でしょうか。貴方は近親交配主義ですか?
コール 異血交配と近親交配というテーマは、議論のあるところですね。私は、自然界もよく見ますが、雀とクロウタドリ(雀同様一般的に見られる真っ黒な小鳥)が似ているからといって、彼らが同じファミリーでるかどうかなど気にしません。基本的に関心がないのです。私にとって最高の作出の最も基本的な考えは、最高の鳩同士を交配するということです。もしそれがたまたま半兄妹同士ならそれでも構いません。鳩はその程度の近親には充分耐ええます。ただひとつ私の考えでする場合、厳しくならねばならないのは、淘汰選別です。
DD しかしそうは言ってもやはり新しい血が必要なのでは?
コール 勿論ですよ。しかしその為にはウチの厳しい入学試験に通らなくてはなりません。素晴らしい血統書だけで良い訳ではありません。完成された鳩と不完全な鳩を交配すると、得てして不完全な鳩に戻ってしまうことが多いのです。特に鳩質とか生命力は、そうです。
DD でも見えない部分がありますよね。例えば帰巣能力のコンパスであるとか、帰巣意志の有無といった点。
コール 帰巣しようという意志は全ての鳩にあると思います。ただそれは、その置かれた環境、コンディション、巣状況(卵やヒナを抱えているか、配偶鳩の有無)によって変わるだけです。そしてそれこそが、飼育者が如何に鳩の帰巣動機を高めるかという点で、技術やアートとも言える腕の見せ所なのですよ。
 それからコンパス、帰巣能力について言えば、実際に見ることは出来ません。しかしこれは私の考えでは血統による部分が大きいと思います。良い方向判定能力というのは、遺伝すると考えているからです。だからこそ私は少しでも優れた鳩を探し求めるのです。つまりナショナルレース総合優勝鳩よりはエースピジョンを。更にもっと良いのはただ良い鳩だけを作出してくれる種鳩です。しかし彼らは常に期待以上の答えを要求されています。
 現実に私が導入するのは、少なくとも私の血が半分以上入っている鳩だけで、それが一番良い結果にもつながっています。このやり方をとることで、2回の大きな盗難の後も素早くレース成績を回復することが出来ました。
DD 何か全く違いますね。僅か4羽の(基礎鳩クランパーの)孫で、コール・デハイデ鳩舎は、こうもうまく好成績を継続出来ると?
コール 確信があるわけではないんですよ。望む通りになるかとはね。さしあたって出来る通りにしているだけです。
DD それは、何か悲観的な考え方のようにも聞こえますが。
コール 多少は仰る通りかもしれません。でも分かって下さい。数が減ったことをぼやいている訳ではないんです。
DD それで?
コール 私が最も残念に思うのは、ピジョン・スポーツがそのルーツを否定していることです。つまり鳩レースは、国民的スポーツ、或いは国民的な趣味であったのに、あっと言う間にエリートだけのスポーツになってしまった。その最も大きな原因は、メガ・ロフトというべきか、大型鳩舎による商業主義的なことが原因しています。初心者の人達は、30羽や50羽の鳩でレースを始めても、何十メートルもの長さの大きな鳩舎を持ち、高価な鳩が簡単にインターネットで簡単に売買されているのを見れば、とてもこれは入り込める世界ではないと思ってしまうでしょう。
特に若い人達は、そんな金額を支出出来ない訳ですから、やる気を失いかねない。鳩レースは、皆が沢山の鳩を飼い始めたことで、同時に高価な趣味になってしまったのです。
DD だからあなたも?
コール いいえ違います。私は自分のコントロール出来る飼育規模を保っています。広げようと思えば広げられるスペースもありますが、そのつもりは有りません。と言ってミニ・ロフトでもありません。自分で全体を見られる規模です。自分で全ての鳩を見て、把握しているつもりです。
DD 全ては貴方の目的に適っていますね。つまりピジョン・スポーツは、くつろぎであると。つまり鳩レースは、日常の他の(仕事)生活とのバランスであると。
コール その通りです。鳩レースというのは、私の生活の中で禅の瞬間だと思っています。私が鳩舎に行き、鳩を掴む。するとその瞬間に、私も私の周囲も全てが静寂に包まれるのです。それは純粋に愉悦の時であり、素晴らしい鳩達と一体になれる時なのです。
そしてお分かりでしょうが、鳩というのはその空気を読むことにかけては達人です。もし私が鳩舎に入る時、緊張していたり、そわそわしていたら、鳩はすぐにそれを感じ取りますよ。ふつうは私の足の周りにまとわりついている鳩が、必ず距離をおいてきます。だからとにかくゆっくりとね。
DD では鳩を掴まえるのも儀式のようなものだと?
コール 全くその通り。私にとって、1日1回鳩を閲兵すること無しに1日は過ごせません。鳩を見に鳩舎へ行きましょうか。私は今、お気に入りの鳩を見る場所を設けているんです。そこでは夜でも鳩をちゃんと見られるような強力なハロゲン・ランプを設置してありましてね。冬とか湿った風の強い日でも快適に鳩を見られるようにしているんですよ。
DD そしてそこで鳩を掴むことで禅の境地に入れると。
コール 確かに。真剣でありながら、心地よい安らぎを覚えられると言いましょうか。それは1日中木の下で、鳩が1000Kの遠きから帰ってくるのを待ちわびているのとは違います。素晴らしい日常なんです。
DD で早く鳩が帰ってきたら。
コール それは勿論違いますよ。それに私が非常に重視するのは、どの鳩でもレースから帰ってきたら、必ずその鳩を掴んで、どのようにレースを戦ったかを理解することです。そこから学ぶことは多い。
DD コール、貴方はまるで何でも世界中で当たり前の普遍的なことであるような話し方をしますね。貴方は、貴方が鳩の世界で達した境地もごく普通に話されるけど、余りにも遠慮した言い方に聞こえます。遠慮していませんか。
コール とんでもない。貴方は私を聖人にまつりあげる気ですか。私はただ常に両足でしっかりと立ち、真面目であり続けながらも、同時にスポーツマンとして自分が鳩の世界で到達出来た部分については誇りを持っていよう、と心がけているだけです。
 確かに何もかも自分の為ではありません。私は多くの人々にそれは随分と感謝していますし、それを口で表すことも忘れないように心がけています。私は自分が実現したこととか成績を持って何かを人に言うタイプの人間ではありません。出来るだけ誠実であるべく、だから貴方が正しい道を歩んでいるとするならば、それをきちんと認めるような誠実な人間でいたいと思います。
DD それはしかし実に人間的じゃないですか。でも見せかけの謙虚さに身をおおうよりは良い。
コール (微笑みながら)もし誰かがある時、1枚の(活躍鳩の)血統書に私の名前を記していないのに出くわしたとしても、私はそれこそ禅の心で、余りそういったことに反応すべきではないのかも知れませんね。
DD 実際、よく(貴方の鳩で)レースしている人々のリストを書き出せば、かなりの長さになるでしょうね。
コール 私が、人には常に最高の鳩を手渡そうとすることは、何も特別なことではありません。年々、ナショナルレースの上位リストに、クランパー血統が少しずつでも増えていくのは、見ていて非常に良いものです。クランパー血統は、ワインのようなものです。年を経るごとに良くなっていく。或いは私は、私がとてつもない幸運を引きよせたのだと、もっと信じて、もっとその事実を重視しなくてはいけないのかも知れません。

DD コール、そろそろ最後になるけど、読者に何か一言お願い出来るかな。

コール 特に私は鳩飼いが好きだし、だから、「鳩を愛せ、そして我々のスポーツを失くすな、泣くほど夢中にはなるな」です。
鳩レースというのは、シンプル、単純なスポーツとも言えます。非常にシンプルであって、その素朴さの中に、美しさもあるのです。
DD 正しくチャンピオンのお言葉の数々、コール、長い間ありがとう。このインタビューのことは決して忘れることはないでしょう。

“基礎鳩クランパー” NL84-1870149 DC ♂ ピート・ラーズローム作 
98年1月4日盗難

Klamper 40.jpg

有名なド・226の直仔
NL74- 2385421

ド・500の3重近親

有名なド・500の近親 ド・500の直仔
H61−141500
H65−567226 H58−315130
H61−141500
スプレンケルス・ドィビンNL79-1491678 NL75-8030317バルセロナN総合2位 H68-704723
M.ファンヘール作 
超銘鳩ドルの兄弟の直仔

NL75-2459204

スプレンケルス鳩舎最高雌種鳩

H72−356935 シュプルートの直仔
H66-714558


“サンバンサン・ダィフ” NL92-9254304 DC ♀ C.デハイデ作翔 
98年1月4日盗難

サンバンサンN25,041羽中総合26位、サンバンサンN28,026羽中総合44位、ダックス1,119羽中34位、スストーンN総合156位、ペルピニャンN総合195位 シャトロー12位

基礎鳩クランパーNL84-1870149ピート・ラーズローム作 NL74-2385421 ド・500の3重近親
NL79‐1491678 スプレンケルスの雌
NL83-8327512 BW超長距離(翌日レース)12回入賞 オード・ランブレヒツB73−6722512 Bスーパー・レーサー
NL81-8157422B C.デホーホ作


“超銘鳩バルセロナ・ダィフ” NL93-9345559 DC ♀ C.デハイデ作翔 
98年1月4日盗難

ペルピニャンN3,985羽中総合優勝、同N3,815羽中総合7位、同N4,342羽中総合15位、バルセロナN4,329羽中総合11位、同N5,737羽中総合21位、同N4,156羽中総合427位

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基礎鳩クランパー
NL84-1870149
ピート・ラーズローム作
NL74-2385421 ド・500の3重近親  
NL79‐1491678 
スプレンケルスの雌 
 

デヴィールト・ドイビン

NL89‐1479344DC
98年1月4日盗難

フーデン・クルック・デヴィールト
NL87-8790973 
兄弟/バルセロナN総合6、8位


 

オード・クルック
NL80-8016163 BC 
G.ファンドクルック作

78-521708×
79-7979092

アトーサ
NL82-8217679
80-8016160×
80-8016165

ナターシャ
NL84-2180764
バルセロナN総合7位

79-808407
83-1954283


“ペルピニャン・ドーファー” NL93-9345564 DC ♂ コール・デハイデ作翔 
ペルピニャン3回入賞内N5,024羽中総合7位、同4,342羽中総合58位、同3,985羽中総合59位 同IN14,283羽中総合30位他 ポーN総合242位、タルベN4,066羽中総合63位、マルセイユIN15,584羽中総合971位 
“ブロア・ペルピニャン” NL93-9345629 DC ♂ コール・デハイデ作翔 マルセイユN3,572羽中総合40位、同IN15,078羽中総合116位 ボルドーN7,977羽中総合88位、バルセロナIN20,129羽中総合926位、ペルピニャンN3,815羽中総合117位

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基礎鳩クランパー
NL84-1870149
ピート・ラーズローム作
NL74-2385421 ド・500の3重近親  上記
 上記
NL79‐1491678 
スプレンケルスの雌 
 
NL83-753990DCP.ラーズローム作 NL82-161214 P.ラーズローム作

NL80-1756066

 

NL74-597880 80年マラトン2位

NL74-2385478P.ラーズローム作

H69-2076674 P.L.フーデン・クラック賞
H71-2154171


“最高種鳩フーデン・ブラウ” NL94-1597171 B C.デハイデ作
直仔/スストーンN10,953羽中総合3位、ダックスN16,377羽中総合4位、モン・デ・マルサンN17,205羽中総合16位、ポーN2,792羽中総合55位

ターボNL92-9295182B 
コール・デハイデ作

 

151 NL87-8736151 B NL80-8057231
NL85-8524500
グーデ・ブラウNL82-1049592 C.デハイデ作
サンバンサン・ダィフNL92-9254304 DC サンバンサンN25,041羽中総合26位、サンバンサンN28,026羽中総合44位他 基礎鳩クランパーの直仔


“ドン・ミッシェル”

NL96-9659671 BC ♂ コール・デハイデ作翔 


ペルピニャンN5,479羽中総合17位、同IN18,426羽中総合41位、同N7,195羽中総合21位

、同IN20,859羽中総合347位、同N6,857羽中総合306位


ダックスNZLU5,617羽中総合58位 N3,755羽中総合39位

、モン・デ・マルサンN4,919羽中総合154位


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ペルピニャン・ドーファー NL93-9345564 DC ♂ コール・デハイデ作翔 ペルピニャン3回入賞内N5,024羽中総合7位、同4,342羽中総合58位他

 テーレン・ダィフ
NL93-1413549B
J.テーレン作 有名なド・508の近親

 NL91-2790522S J.テーレン作  ゾーン・508 
NL82-1402661
J.テーレン作
NL86-1620018 超銘鳩ド・10の娘

 NL90-2867753 

J.テーレン作

 ブラウ・カイパー NL89-1852314 B
 グライス・ドホター・508 NL82-1402528 S


“サムライの孫 ”NL96-9659705 BC コール・デハイデ作翔 
ペルピニャンN5,890羽中総合16位、同IN18,426羽中総合583位 同N6,857羽中総合174位、バルセロナIN25,760羽中総合151位、同N総合60位 ダックスN3,755羽中総合313位、同1,979羽中60位

 ゾーン・サムライ
DV05031-95-2 B
P.デヴィールト作 
直仔/299
ボルドーP総合優勝

 サムライNL90‐0021346  B
A.ワルポット作 
バルセロナIN総合優勝
NL88-8816375BC  C.ムスタース
 NL87-8783762

 ナタリー
NL88-2005000 BC 
妹の娘/
超銘鳩バルセロナ・ダィフ参照

 フーデン・クルック・デヴィールト
NL87-8790973
兄弟/バルセロナN総合6、8位
 ナターシャNL84-2170764バルセロナN総合7位
NL91-9178355DC ヤン・ヘルマンス作

リックNL79-1895871
M.ファンヘール作
超銘鳩ドルの直仔中最高種鳩

超銘鳩ドル H67-2052951BCW
M.ファンヘール作翔 68年リモージュP1,610羽中総合9位、70年シャトローP.2,176羽中総合20位、72年ベルジュラックN3,218羽中総合394位、73年モリンP5,146羽中総合30位、ダックスN3,601羽中総合704位、74年サンバンサンN6,917羽中総合12位、ダックスN3,561羽中総合66位、75年サンバンサンN6,884羽中総合3位(車獲得)
ダックスN3,649羽中総合3位
 NL78-7860805 M.ファンヘール作

 スマーラグジェ・92
NL86-1554292

J.ヘルマンス作

 NL84-158157
 スマーラグドⅠ NL82-1200025 W.ファンレーウヴェン作翔 バルセロナIN雌の部優勝、2位 弟/スマーラグドⅡ バルセロナIN総合優勝


“ディアマンチェ” NL96-9659727 DC ♀ コール・デハイデ作 種鳩 
直仔/ドン・ジョン ダックスP3,962羽中優勝、同N18,323羽中総合3位 
同/ニック ボルドーP5,478羽中総合優勝

ブロア・ペルピニャン NL93-9345629 DC ♂ 
コール・デハイデ作翔 マルセイユN3,572羽中総合40位、同IN15,078羽中総合116位 ボルドーN7,977羽中総合88位、バルセロナIN20,129羽中総合926位、ペルピニャンN3,815羽中総合117位
兄弟/ペルピニャン・ドーファー
基礎鳩クランパー
NL84-1870149DC
ピート・ラーズローム作

モーイドンカーNL83-753990DCピート・ラーズローム作

超銘鳩バルセロナ・ダィフ NL93-9345559 DC ♀ C.デハイデ作翔 
98年1月4日盗難
ペルピニャンN3,985羽中総合優勝、同N3,815羽中総合7位、同N4,342羽中総合15位、バルセロナN4,329羽中総合11位、同N5,737羽中総合21位、
基礎鳩クランパー
NL84-1870149DC
ピート・ラーズローム作
NL83-753990DCP.ラーズローム


“モニーク” NL96-9659741 BCW ♀ コール・デハイデ作翔 
ペルピニャンN5,479羽中総合10位、同N6,857羽中総合186位、ダックス1,979羽中12位、マルセイユ415羽中9位、サンバンサン1,980羽中44位

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ラーテNL95-9538655C.デハイデ作BCW 10月生 ペルピニャン・ドーファー NL93-9345564 DC ♂ コール・デハイデ作翔 ペルピニャン3回入賞内N5,024羽中総合7位、同4,342羽中総合58位他  基礎鳩クランパーの直仔  
サンバンサン・ダィフNL92-9254304 DC サンバンサンN25,041羽中総合26位、サンバンサンN28,026羽中総合44位他      基礎鳩クランパーの直仔  
ムスタース・ドィビン
NL90-9076721BW
クリス.ムスタース作
98年1月4日盗難
主にデルバール・ファンデウェーゲン
NL84-8469422C.ムスタース作  
NL86-8618401C.ムスタース作  

“ド・ラ・クレシェ” NL96-9659776 BC ♂ コール・デハイデ作 ルウィー・デハイデ使翔 スストーンN13,781羽中総合28位、サンバンサンN16,486羽中総合44位、同N17,333羽中総合121位 モン・デ・マルサンN13,636羽中総合93位

 ロード・クルック
NL90-2675786RC
P.デヴィールト作

 オード・クルック
NL80-8016163BC
G.ファンドクルック作

 NL78-521708
 NL79-7979092

 アルゲンティーナ

NL81-1895517
P.デヴィールト作翔
サンバンサンN総合4位

 
 マダム・ラ・クレシェ
NL90-1523813BC
ヘンク・シモンズ作翔
ラ・クレシェN総合優勝
 ミスクロール・チョコ
NL87‐1681825H.シモンズ作
ステケテーのポー直仔同士近親
 NL87-8760199
 NL87-8754356

 フュールバル NL88-1150916H.シモンズ作

 NL84-1427904
モーイエ・42
NL83-1995642
半兄弟/サンバンサンN総合優勝


“イングリッド” NL97-9731428 BC ♀ コール・デハイデ作翔 
サンバンサンN17,333羽中総合13位、同N17,888羽中総合775位
マルセイユN6,699羽中総合73位他同476羽中22位 ダックスN19,125羽中総合376位

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224 NL92-9254224LBC
C.デハイデ作翔 ペルピニャンN3,985羽中総合61位他、サンセバスチャンN6,841羽中総合149位他マルセイユ、スストーン入賞 
直仔/スストーンN総合60位他、
孫/ダックスN総合8位

NL89-1509473BC
NL89-1509481BC
基礎鳩クランパーの娘
NL94-9463332DC C.デハイデ作翔
マルセイユN4,449羽中総合453位、ペルピニャン2,233羽中230位
NL84-1870149DC
NL91-9178355DC NL79-1895871
NL86-1554292


                                               (続く)

超銘鳩ゲヤ NL97-9751488 B ♀ ファンデールマッテン兄弟作翔
スストーンN10,953羽中総合3位、モン・デ・マルサンN17,205羽中総合16位、ダックスN14,226羽中総合74位 直仔/ダックスN総合9位


セレナ NL98-9829072 LBC ♀ コール・デハイデ作翔 
ダックスN(ZLU)171羽中総合4位、サンバンサンN16,486羽中総合69位、同N17,888羽中総合666位 ボルドー767羽中12位、
ペルピニャンIN18,426羽中総合2124位

モーイ・グライス NL98-9829142 G ♀ コール・デハイデ作翔 
サンバンサンN16,486羽中総合8位、同P1,489羽中総合32位、ボルドー980羽中29位、同767羽中32位 孫/ベルジェラックNPO7,340羽中総合優勝他Nレース上位100位内多数入賞
半姉妹/665 ペルピニャンN総合30位、バルセロナN総合55位、ポーN総合43位


アストリッド NL99-9909930 DC ♀ コール・デハイデ作翔
バルセロナIN26,928羽中総合53位、ペルピニャンN4,367羽中総合136位 異母兄/サムライの孫 NL96-9659705 ペルピニャンN5,890羽中総合16位、同IN18,426羽中総合583位 同N6,857羽中総合174位 バルセロナIN25,760羽中総合151位、同N総合60位 ダックスN3,755羽中総合313位、同1,979羽中60位



ドン・ジョン NL99-9910031 DC ♂ コール・デハイデ作翔
サンバンサンN18,323羽中総合3位、同P3,962羽中総合優勝、同N1,123羽中総合53位、サンバンサンN17,888羽中総合805位
異母兄弟/セレナ 異父兄弟/ニック ボルドーP5,478羽中総合優勝


ボンテ・ダックス NL00-0052548 LBCW♂ コール・デハイデ作 ファンデールマッテン兄弟使翔 ダックスN16,377羽中総合4位、ポーN2,792羽中総合55位、ボルドーN(ZNB)6,713羽中総合85位 同N(ZLU)4,626羽中総合90位


基礎鳩クランパーの孫 NL01-0127566 BC ♀ コール・デハイデ作翔
ペルピニャンN5,896羽中総合5位、同N7,645羽中総合74位


ドンケレ・ダックス NL02-0226331 DC ♂ コール・デハイデ作翔
ダックスIN11,517羽中総合17位、同N3,260羽中総合7位、バルセロナN7,043羽中総合351位


ド・カルカゾンヌ NL03-0334469 BC ♂ コール・デハイデ作翔
カルカゾンヌN3,167羽中総合6位、同IN10,448羽中総合115位 全姉妹/591  ナルボンヌZLUエース鳩第3、4、5位


ミスター・ベルジェラック NL03-0334499 BC♂ コール・デハイデ作翔


ド・ペルピニャン・ドィビン NL03-0334500 B ♀ コール・デハイデ作翔 
ペルピニャンN4,719羽中総合17位、同IN14,812羽中総合90位、同N6300羽中総合50位、バルセロナN7,520羽中総合88位

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ジャパン環は、FCIJP環に?

 来年、国際愛鳩連盟(FCI)主催のオリンピアードは、スロヴァキアで開催される。その際には任期8年となるポルトガルのドクター・テレーゾ氏が留任を希望していないことから、その後任人事が問題となるが、FCIとしてはそれ以外にも様々な議題をかかえている。
 そのひとつが加盟各国の協会脚環をFCI環に統一しようという試みだ。もし各国がこれに賛成すれば、例えばベルギー環はFCIBEとなり、ジャパン環もFCIJP環となる。
脚環はFCIが一括発注出来ることからかなりのコスト・ダウンを図ることが出来ることで、FCIの予算捻出の一助となろうという目論見である。
しかしそうなるとそれを受注するのはどこの国のどの企業となるのか、またその企業の独占受注を許して良いのかなどの問題も起きよう。
現にベルギー協会(KBDB)は、2008年よりの5年契約が終わる来年、これまでのいわゆるアイコム環の不評から発注先を変えることが決定した。

実現するか、全欧レース

 中国はFCIに対し、上海のすぐ南の港町波市でのオリンピアード開催を請願している。しかしこれが困難な理由は、オリンピアード終了時点で、参加鳩を中国からヨーロッパに返送出来ないからだ。
 それはEUがEU域外からの鳩の持ち込みを禁止しているからである。
 ところがこれには例外のあることが分かった。現在、FCIではポルトガルのミラでFCIの委託国際レースを実施しているが、これに参加しようとした(EUに加盟していない)クロアチアが、鳩をポルトガルに送れない為に、鳩をベルギーのナチュラル社に送った。
 もちろん輸入許可証も無ければ、輸入許可証をとりつけようもないナチュラル社では、これらの鳩を一時預かりという形でポルトガルのミラに転送しようとしたが、勿論許可はおりない。
 ところが同じEU非加盟国のブルガリアは、自分達の鳩を加盟国であるブルガリアに持ち込み、同国の獣医師他機関の証明書を取り付けて、ミラに鳩を送れたのである。
 話は変わるが、ミラはミラで頭をかかえている。今のベルギー、オランダ、ドイツの委託鳩の第1回発送鳩が、運送会社のチョンボで集荷からミラ到着までに4日間も要してしまったのである。
炎天下での輸送4日間、しかも鳩は全て巣立ち直後とあって、当然のことながら約70羽が死亡。
 委託料を払った参加者達は、当然のことながらその賠償を請求する事態となったのである。
 
 さて今ヨーロッパでは、全欧国際レース構想なるものが持ち上がっている。これはEU加盟各国が全て参加する国際レースの構想である。放鳩地はロンドンとベルリンの2ケ所。これが実現すればもちろん参加羽数はとてつもない数となる。
 しかし「急に方角違いのレースなんか出来るか」という多くの鳩飼いの声のあるのも事実。
 ただ鳩飼いは、やはりロマンを追いかけてみたいものである。

 ピッキング・ストーン値上がりか?

 今後、ヨーロッパ各メーカーの製造販売しているピッキング・ストーンが値上がりする公算が大きい。それというのもドイツのある鳩界の飼料メーカーが製造販売しているピッキング・ストーンからダイオキシンが見つかった為である。
 その結果、ベルギーでも政府が直ちに動いた。どのベルギーのメーカーも検査結果が陰性でない限り、全ての製品を市場から引き揚げろというもの。
 そして各メーカーは、直ちにダイオキシンが出た原料を供給しているオランダの企業に全て原材料を返送させられたのである。
 しかし商品のリコールに関しては、どのメーカーもベルギー国内のみならず、遠くアジアの国々にまで製品は輸出されており、まして末端消費者にまで行き渡った製品の回収は不可能と強く抗議。
 さらにその後、検出されたダイオキシンがごく微量で、ドイツでは規制値以下であり、人体に何の問題もないことが分かり、ベルギー政府の干渉は緩和されたかに思われた。
 ところがベルギー政府の対応はその真逆で、人体への健康被害を出さない為には、ダイオキシンは、全くゼロ数値でなければならないということになった。
 つまり原材料の供給メーカーは、ベルギーの納品する際、そのダイオキシンがゼロであることの証明書を添付せざるを得なくなり、その分コストに跳ね返ることになった訳である。

ヨーロッパ短信

 日本では、リニア新幹線が時速600Kを越える世界新記録をマーク、ドイツでは65才の女性が4ツ子を出産するなどこのところニュースが多彩です。
 筆者もこの4月1日からベルギーですが、今回も3週間で既に走行距離が、10,000K近くになりました。暇な時はカジノに行ったりしています。
 そろそろ日本のレースは終盤を迎え、凄いニュースでもないかと期待しておりますが、当地でもいよいよ2015年のレース・シーズンが開幕しました。
 今週、4月18日の最初の160Kレースで、友人のヤン・ヘルマンスが早速優勝を飾りました。(総合では2位)
  最近は、ベルギーでも桜や梅をよくみますが、当地では桜が散る頃が、丁度レースの開幕シーズンなのです。
 明日は、この度亡くなられたヴィクター・ファンザーレン氏の葬儀に出ます。ヴィクター・ファンザーレン氏といえば、故並河靖先生との対談を思い起こします。
 お二方共、巨匠、作出の理論家として有名でしたが、このような方々が鬼籍に入られる度に、時代の流れを感じます。
 また新たなスター、凄いチャンピオンが出てきて欲しいものです。  (吉)

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                    カイパー兄弟とファンザーレン氏(中央)

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                  故・並河靖先生(右)と

(追記)

 昨日、この4月14日に亡くなられた、故ヴァイクター・ファンザーレン氏の葬儀に参列しました。ベルギー、オランダの冠婚葬祭には、随分と出席しましたが、故ファンザーレン氏の 葬儀は、珍しく無宗教の葬儀でした。

 最近、日本でも多い、葬儀場を利用しての葬儀ですが、無宗教の葬儀ですから、牧師さんはおりません。とは言え、葬儀ですから極めて厳粛で、宗教的色彩の強い物にはなります。

 広いホールの最前列には、遺影が飾られています。そのスクリーンには、写真が投影されます。

 司会者、というかナレーターが、静かな音楽の流れる中、故人のプロフィール、業績、人柄を紹介します。故ファンザーレン氏は、ゴッホ、ピカソ等の芸術家に私淑し、書籍に通じ、見分を広め、鳩レースに関する著述だけでも7冊の本を執筆しました。

 食通で、なおかつワイン、シャンパンにも通じ、フランス、ベルギーでも一流の店では、よくその名前を知られていました。

 それらの事が紹介された後、次に長男マルク氏の弔辞が読み上げられます。そして最後に参列者が前列より、順次棺に献花して、最後の故人との別れを惜しみます。その間約、30分。 しかし無宗教とは言え、如何にも日本の葬儀にも似ている印象でした。

 参列者は、昔の葬儀ほど黒一色ではないにせよ、基本的に明るい服を避け、正装しています。葬儀の後のなおらいも、故人にちなみシャンパンが振る舞われた他は、コーヒーと食事が供されます。

 故人は、1926年2月の生まれでしたから、89年の長寿を全うされました。故並河靖先生との対談は一度だけでしたが、鳩界の理論家であった点、共に長寿、共に食通、共にシャンパン、ワインをこよなく愛され、他の芸術にも造詣が深く、正に好ライバル同士でした。     (吉)

2015年度ゴウデンダイフ賞授賞式

ゴウデン・ダィフ(黄金の鳩)賞授賞式行われる

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 去る2月27日土曜日、ベルギー最大の鳩新聞ド・ダィフ紙主催による恒例の2015年度ゴウデン・ダィフ賞授賞式が、アントワープ州デン・ブームガールト・ホールで行われ、世界各国から多くの鳩界人が詰めかけた。             吉原謙以知

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最大のイベント

 ド・ダィフ紙は、有料鳩新聞としては、(PR誌であるナチュラル社のダイフケ・ラハト誌を除いて)ヨーロッパでは最大の発行部数と現在では最長の歴史を誇る鳩新聞である。だから発行部数もさることながら、その影響力も非常に大きい。今年のKBDB(ベルギー王立鳩協会)の大会でさえ、今年は日曜日には350名しか入場者が無かったのに、ゴウデン・ダィフ賞授賞式だけは、毎年3,000人近い参加者が出る。もちろん受賞者数も多いが、今年も授賞対象外である日本、台湾、中国、英国、フランス、デンマークなどから多数が参加した。日本からも木島寛、内山勝博、小笠原悟の各氏の他、吉原謙以知、石原正の5名が参加した。 恐らく入場者数の多い点では、ヨーロッパでは、オリンピアードに次ぐ祭典であろう。まず一流鳩舎で会えない顔ぶれはない。

授賞式

 ゴウデン・ダィフ賞のプログラムは、非常に長い。日本人だけでなく、アジア人に馴染めないほど長い。それはただ単に表彰式というセレモニーではなく、お祭りとして楽しみたい、そしてお祭りとして楽しもうという以上、少しでも長くその雰囲気を味わいたいという気持ちがあるからである。だからこそ年によっては、800Kも離れた場所からわざわざこの授賞式やってくる受賞者もいるのである。

長い、と書いたが、ここにそのプログラムを紹介する。
14時 レセプション(これは招待客だけを対象なので、プログラムには記載されない) 主な受賞者、
やゲスト、スポンサー、それに主催者が招かれ、シャンパンやジュース、それにカナッペの出る軽いパーティー。
15時 開場と同時に競売鳩が会場に展示される。一般来場者が入場する。会場は授賞式会場のホールにバーがあり、飲み物やスナックは、購入出来る。授賞式会場の隣接ホールには、若干の模擬店、バー、テーブル席があり、ここでも人々が集いあう。授賞式会場のステージでは、バンド演奏と前座の歌手が歌っている。
16時 公式開会 主催者を代表してド・ダィフ社の主宰であるヤン・ヘルマンス氏が挨拶、それに続いて、ベルギーの協会KBDBから来賓が順次祝辞を述べる。

 少し休憩を挟んだ後、我々外国(授賞対象国ベルギー、オランダ、ドイツ以外の国々)からの客がステージに呼ばれ、会場の入場者たちに紹介された。続いて、表彰式である。
 そしてこのプログラムの最後は、ゴウデン・ダィフ賞ジュニア部門の表彰である。ゴウデン・ダィフ賞授賞式プログラムには多くのスポンサーがついている。ハーハト・ビール(ペプシ・コーラ)、ベルガ=フェット・プロダクツ(鳩用サプリメント)、ジンマー・ホテル、BIFS(鳩の人口受精や、DNA鑑定等)、そして飼料のヴェルセル・ラガー社であるが、特にジュニア部門の商品である鳩の飼料は、ラガー社が提供している。
18時 記念オークション これは、後から紹介するが、いつも遅れて実際には19時頃から始まる。
20時半 この日のエンターテイナーの1人、フランス・ドイツのショー。日本人は、これを見ないで、この間に、レセプションが行われたホールで、食事。
21時 授賞式の後半。
23時半 この日のメイン・エンターテイナーであるサム・ゴリスのショー。
24時半 会場で販売された福引券で、数多くの景品が当たる抽選会が行われ、それに続いては、午前3時過ぎまで、生バンド演奏で、ダンス・パーティ。そして徐々に散会となる。しかし日本人や多くのアジア人は、大抵午前0時前に引き上げてしまう。それは表彰式とオークションというメイン・プログラムが終了してしまうからである。

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スーパー・スターと国際超長距離部門

ゴウデン・ダィフ賞の場合は、全て優秀鳩舎賞である。エース・ピジョンのような鳩賞は設けられていない。また特定のレースの授賞もない。それでも賞の数は膨大であり、授賞式は半日以上のスケジュールを要する。だから授賞式の合間合間に、アトラクションや、オークションも必要となるのである。
ではなぜそれほど授賞が長く、多岐にわたるのか。それはひとつには3ケ国にまたがる表彰であり、部門も複雑だからである。
まず各国の下位の受賞者達の表彰である。具体的には毎月の各国の短中長距離各カテゴリーの上位者10位までの表彰である。これだけでも国別に行われるから、数が多い。前半授賞式の最後がジュニア部門の表彰であることは前述した。
今年、ジュニア部門で第1位に輝いたのは、ペーター・ファンデメルヴェの娘で、14才のグヴェン・ファンデメルヴェであった。彼女は11才からレースを始め、昨年の最高成績は、以下の通りであった。


デュッフェル1064 羽中 5-6-7-10-11-14-15-18-20位他 (28羽参加23羽入賞)
ナントィル  2235 羽中 2(21,853羽中でも総合2位)-5-8-9-10-21位他 (23羽参加12羽入賞)
デュッフェル 1023羽中 2-5-6-8-10位他 (9羽参加7羽入賞)



 ちなみに独自の鳩を飛ばしての成績が凄い。21時から始まる後半の授賞式は、最初が各国各部門第1位者、すなわちスーパー・スターの表彰である。今年は、以下の顔ぶれであった。

ベルギー 受賞者 申告レース数 得点
短距離部門 パトリック・リスモント 5レース 単独
中距離部門 リノ・フェルヘイエ 4レース 35ポイント
長距離部門 ニール・ブルックス 3レース 26ポイント

※短距離は、5レース申告者がパトリック・リスモント1鳩舎の為、ポイントに関係なく1位

オランダ 受賞者 申告レース数 得点
短距離部門 ディルク・レーウヴェルケ 2レース 18ポイント
中距離部門 スペンノー・ファンサンデ 2レース 18ポイント
長距離部門 ケース・ナイデケン 2レース 13ポイント
ドイツ 受賞者 申告レース数 得点
短距離部門 ウィンフリード・ヘルメッリヒス 1レース 3レース
中距離部門 ディノ・ベルゲマン 3レース 16ポイント
長距離部門 ハナッペル=リース共同鳩舎 2レース 単独

 各国のスーパー・スター第1位が表彰された後は、ゴウデン・ダィフ賞の表彰であるが、その前に国際超長距離部門の授賞が行われる。 ここにその上位入賞鳩舎を紹介する。2015年度は、以下の顔ぶれと成績であった

 1)フライアル・デンホーフェン父子(ドイツ

日付 放鳩地 参加羽数 順位1 順位2 平均入賞率 最終入賞率
6/26 アジャン 1,177 優勝 2 0.25 3.45
7/24 ナルボンヌ 8,447 74 49 1.46  
7/31 ペルピニャン 977 4 13 1.74  

2)ケース・ナイデケン(オランダ)

日付 放鳩地 参加羽数 順位1 順位2 平均入賞率 最終入賞率
6/12 サンバンサン 1,057 優勝 3 0.38 3.73
7/7 ベルジュラック 1,468 2 6 0.54  
7/25 カオール 5,028 116 25 2.80  

3)マルク&ゲールト・ポラン(ベルギー)

日付 放鳩地 参加羽数 順位1 順位2 平均入賞率 最終入賞率
8/1 リブルヌ 5,024 50 優勝 1.02 4.83
6/26 アジャン 6,042 84 14 1.62  
7/31 ペルピニャン 5,254 84 31 2.19  

※順位1とは、第一マーク鳩の順位、順位2とは、その他最高順位4)デスメイター=レスチアン、5)フェルヴェイ=ドハーン、6)オイゲン・ファンオーヴァーシュトラーテン、7)チーム・フレディ・デヤーガー、8)デグロート=レイエン共同鳩舎、9)M.J.ハウトカマー、10)ゲラード・スケルケンス


 ちなみに誰もが昨年度世界最高の素晴らしい成績を挙げたと認めるコール・デハイデ鳩舎は、18位であった。如何にゴウデン・ダィフ賞での受賞が難しいかよく分かるだろう。

国歌とビデオ・プレゼンテーションの授賞式

 以上の表彰が行われた後、いよいよ最大のメインであるゴウデン・ダィフ賞の授賞式である。
スーパー・スター賞が部門別なら、ゴウデン・ダィフ賞は、その部門を取り払った各国別最高成績の受賞者表彰である。

 今年度の受賞者は、以下の通りである

ドイツ順位 鳩舎名 申告レース数 得点
ミュラー=ド・ベーア共同鳩舎 4レース  
次点 ラーヴェンシュタイン=トゥイル 3レース  
次々点 サンダー=クルトゥルムス 2レース 13ポイント
オランダ順位 鳩舎名 申告レース数 得点
J.シュッテ父子 2レース  18ポイント
次点 ペーター・ファンデメルヴェ 2レース  12ポイント
次々点 ベルト・ブラスペニング 2レース 9ポイント
ベルギー順位 鳩舎名 申告レース数 得点
ファンヘルテム=シュールマンズ 5レース  47ポイント
次点 ゲラード・レンズ 4レース  43ポイント
次々点 ファンエルザッカー=イェプセン 4レース 40ポイント

 以上の鳩舎が、今年の受賞者であった。それぞれ国別に3鳩舎ずつが呼ばれ、ステージに上がる。
各第1位受賞者は、ゴウデン・ダィフ賞受賞者であるが、表彰は3位から呼ばれ、成績が紹介された後、順次ゴウデン・ダィフ賞ならぬブロンズ鳩賞、シルバー鳩賞を表彰されるのである
 そしてゴウデン・ダィフ賞の受賞鳩舎の表彰に際しては、アルマンド・スケールのASBNスタジオが制作した受賞鳩舎紹介のビデオが上映され、もちろん受賞者は、そのビデオ・テープも記念にもらえるのである。
 また各国の受賞者を称えて国家が吹奏される。各受賞者を感激させる最高の演出といえよう。



 授賞式の最後は、チャンピオン商事が毎年贈呈している日本人形の贈呈である。これは各国ゴウデン・ダィフ賞受賞鳩舎と国際超長距離第1位の鳩舎に、筆者が毎年贈呈しているもので、1990年以来、今年で27年目になる。
 当初は1回、ないし数回で止めるつもりでいたのだが、受賞鳩舎の夫人達が皆欲しがるという主催者の要請で止められなくなったものである。日程上、どうしても筆者が持参する形になるのだが、毎年かなりの額の超過手荷物料金を徴収される上に、現地でのガラスケースの組み立ても1日かかる大仕事である。
 それでもステージに再度呼ばれた受賞者達の笑顔を見れば、継続してきた甲斐もある。

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史上最高価格となった若鳩オークション

 

 

 

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 この授賞式を訪れる人々の目的は、もちろん受賞者にとっては受賞そのものである。しかし受賞者も含め、それ以外の人々にとっては、オークションも最大の魅力である。
 なぜならこの競売には最高の若鳩が供出されるからである。籠で30羽、50羽輸入される中にはなかなか入らないような鳩ばかりである。それが為ゴウデン・ダィフ賞の前にこの競売に参加する各鳩舎を訪問すると、どの一流鳩舎もが、「今年は、この若鳩を出すから見てくれ」
「うちの若鳩が最高価格になるよ」と自慢しながら、競売参加鳩を見せに来る。籠で売る為の鳩舎の若鳩とは別の部屋から大事そうに出してくるのである。
 実際に、結果も凄い。前にも紹介したが、ディルク・ファンダィクの作出した有名なカンニバールの娘が、コープマンに落札され、有名なゴールデン・レディとなった。そしてそのコープマンがゴールデン・レディから作出したクライネ・ディルクは、世界最高の超銘鳩の1羽となったが、更にそのコープマンが、このクライネ・ディルクから作出した若鳩が、このゴウデン・ダィフの競売に出てフランク・サンダー鳩舎に落札され、同鳩舎の基礎鳩ヴォンダー・ファン・ハーハト(ハーハトの驚異。当時ゴウデン・ダィフ賞授賞式は、スポンサーであるハーハト・ビールの持つホールで行われており、そこで落札されてこの名がついた)が誕生した。
 まさに種鳩の宝庫ともいうべき競売なのである。
 今年は、49羽が参加し、事前のインターネット・オークションで最高価格5000ユーロ(約63万円)をマークしたのは、アド・スカーラーケンス鳩舎の作出した若鳩ノーブル・ブラッドB15-1774455灰の雄であった。
 この鳩は有名なデン・エクストリームとアドの孫であったが、自身の全兄弟が活躍している訳ではなく、筆者としては何故この鳩がネットで、最高価格を付けたのか苦しむところであった。
 しかし主催者のヤン・ヘルマンスによると、「この鳩が会場で最高価格になるかどうかは分からないが、」
との前置きの後で、いずれにせよ5000ユーロでは、とても落札出来ないだろうとの見通しであった。
 例年、この競売は、鳩の供出者が、それぞれ会場に来る際に自分の鳩を持参してくる。しかし今年は、予め全鳩の写真をネット掲載する為に撮影したようで、殆どの鳩が、15時には会場に到着していた。筆者は幸運にも、これらの鳩を全て展示籠に詰める際、掴むことが出来た。
 中には勿論最高とは言えない鳩も混じってはいたが、それでもかなりの鳩が、唸るような鳩質であったのは、感嘆した。
 競売は有名な故スタン・ライマーカーの息子グスト・ライマーカーの競りで行われた。弊社でも日本の様々な方々から指値を頂戴していたので、出来るだけ数多くの鳩を落としたいのが人情である。しかし残念ながら、その殆どの方の期待を裏切るような競売となった。
 日本円で100万円を上回る鳩が珍しくなかった。
 最高価格は、スカーラーケンスのノーブル・ブラッドで、落札したのは中国人、価格は何と16,000ユーロである。何とも高い価格ではあるがこれも考え方次第であろう。超銘鳩といわれる鳩の中には、鳩質も大したことが無いのに、定価でこのくらい要求する人間もいるのだ。
 次に高額であったのは、主催者ヤン・ヘルマンスの息子リックの有名なフレンドシップの全兄弟で、13,000ユーロ。落札したのは、オランダ鳩界人にして長者番付に名を連ねる強豪ジョン・ファンヴァンローイであった。
 ちなみにファンヴァンローイの作出鳩も誰かに6000ユーロで作出された。
 また最高価格第3位となったのは、ヴィレム・ドブルイン鳩舎の作出若鳩ハリケーンズ・ホープで、この鳩は弊社が8,500ユーロで落札した。
 全部が終わってみると、総額は163,798ユーロ、1羽平均3,343ユーロであった。これが日本に輸入されれば、経費に消費税を加えて50万円以上の平均価格である。「輸入鳩は安い」などと世迷い事を言う人もいる。確かに世の中には1羽50ユーロでも買ってほしいというようなカス鳩もいる。しかしそういう鳩に投資するようなお金の使い方が、実は一番高くつくのである。

 残念ながらこの競売を見てもそうだが、毎年鳩の価格は上昇傾向にある。やる気のある若手レースマンにとっては、残念なことでもあるが、それはそれで鳩界発展の為には仕方がないかも知れない。

ド・ダィフ紙の新たなメンバー、マイク・フェルブリュッヘンを紹介

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 今はインターネットの時代です。ド・ダィフ紙の電子カラー版を担当しているのは、ヤン・ヘルマンスの娘アンケさんです。
 彼女のボーイ・フレンドで、新たにド・ダィフ紙のスタッフに加わってのが、ここに紹介するマイク・フェルブリュッヘンです。
 彼は鳩飼いではありません。マイクは、若い頃は料理人を目指してシェフの学校に通ったり、動物園に勤めたりしましたが、ヤンの娘のアンケさんと知り合ったのがきっかけで、ド・ダイフの編集スタッフに加わりました。従って鳩の知識はまだ貧弱ですが、ヤンの言うように非常に高いインテリジェンスを備え、将来に期待されています。



 ド・ダィフ紙には、嘗てナチュラル社のヨセフ・デスカイマーカー氏から、「ド・ダィフ紙のダイヤモンド」と称揚され、何度も誘いを受けながら断ってド・ダィフ一筋に歩んできたゲルト・ハイゲという一流記者がいます。しかしゲルト・ハイゲもかなり高齢となり、ヤンが将来のゲルト・ハイゲと期待を抱いているのがマイク・フェルブリュッヘンなのです。
 彼はまだ鳩の知識が貧しいので、専門的な記事は書けません。今彼が担当しているのは、例えば同社建物1階の空き部屋のマネージメントや、例えばゴウデン・ダィフ賞の集計、広報と言った業務が主体ですが、それに並行して、先日筆者と一緒にブールジュNレースの放鳩同行記を書いたりと、雑用から記事迄多岐にわたっています。

 その彼と一緒に生活しているヤンの娘のアンケさんと彼から夕食に招待され、去る8月末彼らの住まいを訪問しました。実は彼らは来年6月に挙式を行い、順序が逆ですが、その前3月にハネムーンで日本に来る予定です。
彼らの家到着して、まず彼らの住まいを見せて貰いました。豪邸ではありませんが、素晴らしいお宅です。敷地は六千平米の広さでヤンの家の1.5倍の広さです。緑一杯の庭の小道を案内されながら歩いていくと、馴れた飼い犬もついてきます。庭にはベルギー種という山羊や鶏が飼われています。しかし鶏は全て檻の中です。実は彼の敷地の周りも広大な森で、狼や、鹿などの他に大型の猛禽類もいることから、鶏などはすぐに襲われ、危険で放し飼いが出来ないそうです。

 夕食は素晴らしい物でした。彼は最近、時々ド・ダィフ社で月曜のランチ・タイムに全員の食事を作ることもありますが、いつも唸らされます。
 この日、彼は典型的なベルギー料理というのをご馳走してくれました。典型的なベルギー料理でありながら、殆どレストランでは出ない料理です。それは手間暇がかかりすぎるからでしょう。それはシコリという野菜を使ったクリーム・シチューに近い料理なのですが、彼の素晴らしいところは、僕とマイクの食べる料理の他に、ベジアリアンのアンケさんの為には、同じシコリの料理でも肉を使用していない料理をちゃんと別に作ることです。
マイクとアンケさんは、これまでも世界中を渡り歩いてきましたが、日本に来る際の1つの目標は、様々なレストランを訪れることだそうです。しかしベジタリアンでも楽しめる日本料理のカテゴリーは、限られるでしょう。寿司、すき焼き、しゃぶしゃぶは無理だし・・・・・。

 会話は結構弾みました。僕のつたない英語でも、彼が如何に鳩に対する知識がなくとも今はその奥深さに惹きつけられているか、滔々と語るのです。その奥の深さは、
「鳩の良し悪しだけ分かったって駄目なんだよね」
「世の中にこんなに様々な知識が要求される趣味があったなんで全然知らなかったよ」

 マイクの場合、どんなに鳩が好きになっても飼育することは出来ません。何故なら余りにも広大な森に囲まれ、まるで猛禽類の中心で生活しているからです。しかしそれでもすっかり鳩の魅力に取りつかれてしまったようです。しかし何で鳩の世界に? ベルギー人なら誰で知っているけれど、鳩界は、世界的に衰退していて、将来性が無いと言われているのに。
「そんなことは承知の上だよ。でもいくらベルギーの鳩界が廃れていると言ったって、現にド・ダィフをはじめ、P社、H社も含めて3大企業が成り立っているじゃない。そしてそれなりに売り上げを作っている。どんなに規模が縮小しようとも、金を持った顧客さえ掴んでいれば問題ないよ」

 食事が終わると、ワイングラスを手に庭先で一服しながらまた話始めました。するとマイクは、ベルギー人の欠点を並べ始めたのです。ちなみにマイクはベルギー人、アンケさんはオランダ人です。
 実は僕自身、つねづね非常に不思議に思っていたことがあります。ベルギー人の半分は、フラマン語、つまりオランダ語の方言を話すのですから、殆ど民族的に差異はない筈です。ところがオランダとベルギーを比べると何故こんなに違うのでしょうか。確かに宗教的にはベルギーは大半がカソリックで、オランダでは多くがプロテスタントです。
 しかし大抵の日本人(鳩飼い以外)にとって、ベルギーはまるで特徴の薄い国です。僅かにチョコレートとダイヤモンドが有名でしょうか。
 それに比べるとオランダは、交通の面だけでも、ヨーロッパ最大級の港ユーロポートを控えるロッテルダム港、かつてはヨーロッパの空の玄関口を誇ったスキポール空港、KLMオランダ航空、自転車の普及、さらに東インド会社、フライング・ダッチマンで知られる貿易の発達、風車、チューリップの栽培と輸出、国土の3分の1以上を干拓で築き、それをもとに観光に注力し、ハステン・ボスではないが、積極的を感じさせます。
「世界は神によって創られた。されどオランダは人によって創られた」と豪語し、
 世界に先駆けて同性婚を認め、マリファナやハッシッシを合法的に喫煙出来・・・・、枚挙にいとまがありません。
「まさにそこなんだよ。オランダ人とベルギー人の違いは」
マイクも全く同意見です。
「これらの違いは何から来るの」
「それこそ国民性、民族の違いだろうなあ。例えば僕も日本以外の東南アジアの国々を廻ったけれど、皆全然違う、タイ人とベトナム人が全然違うように、オランダ人とベルギー人は、全く違うんだ。勿論日本人と比べれば、もっと違うのは当たりまえだ」
「何がそんなに違うの?」
 洗い物を終わったアンケも話に加わった。
「オランダ人はね。何もかもベルギー人より積極的だ。自分の行動に自信を持っている。だからスポーツでも事業でも、成功すればPRがうまい。すぐに世界中に知れわたる。
 その点、ベルギー人は駄目。自信がないのか、控えめなんだ。例えば若手の素晴らしい新人のサッカー・プレイヤーが出たとする。オランダのチームなら、お前は絶対に大物になる。自信をもってふんぞり返って練習に励め、だよ。ところがベルギー人はそうは言わない。頑張って努力すれば、お前も一流プレイヤーに仲間入り出来るかも知れない。カモシレナイ、だよ」
 確かにそういった違いはあるだろう。

「でもね。確かに皆違うのは分かる。日本も台湾も、タイも仏教だ。ところが台湾ではお葬式にパレードをする。今回の日本と韓国の対立だって、韓国国民の反応と、日本国民の反応はまるで違う。それは国民性の違いだろう。けれど極端に違う筈の日本人やアジア人の文化とヨーロッパ人の文化が、逆に多くの共通点もあることは、面白くないかい?」
「例えばどんな」
「例えば冠婚葬祭。葬式は寺や教会で行うけれど、喪服やダーク・スーツを着用する点、祭壇に花を飾る点、牧師やお坊さんが何やら呪文を唱えるだろう?
そして葬式の後のお清めだってそうだ」
「そうか。そう言えばそうだね。でもそれでも同じベルギーでも地域によって全然違う。例えばルク・シウンの住んでいるような西フランドルの葬式に行ってみな。信じられないよ。本当に大ご馳走の乱痴気パーティ、お祭りだよ。逆にこちらケンペン地方では殆ど何も供さない」

 話は尽きなかったが、遠い田舎道ゆえ筆者は2人に別れを告げて、彼らの家を後にしたが、帰りの車の中でつくづく思った。ヤン・ヘルマンスは誠に幸せな男である。長男のリックは、既にベルギーの大チャンピオン、そして娘のアンケや彼女の将来の亭主迄を含めて、皆が彼の事業に参画しているのである。

 既に71才で健康に問題があるヤンは、ド・ダィフ社の経営を半分以上リックに託している。しかし一方で、真に会社を託せる男として、マイクを考えているようだ。
 なぜならヤンは、リックに全幅の信頼をおいているとは言え、リックの最大の利点が、経営者としてよりも、鳩飼いのチャンピオンとしてド・ダィフ社に大きく貢献しているのが事実だからである。
 そしてリックのレース成績が低下するのは誰も望んでいない。今年もイソウドゥンNレースという快挙を成し遂げたが、実は他にも大きなタイトルを狙っているのである。

 しかしマイクは鳩飼いではない。編集者としても、家族としても、そして会社経営の大きな柱としてもヤンは、大きな期待を寄せているのである。


  (文 吉原謙以知)

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