ヤン・ヘルマンス氏によれば、2011年末の時点で、ベルギー、オランダには、それぞれ尊敬すべき競翔家がいるという。
 ベルギーではレオ・ヘレマンス、オランダではコール・デハイデの2氏だ。尊敬すべき競翔家という意味は、彼らが何もナショナル・チャンピオンになったとか、それぞれの国で一番の競翔家になったという意味ではない。
 レオ・ヘレマンスの場合、かつてヘレマンス=コイスタース名で一世を風靡したが、全鳩処分の競売後、1人になったにも拘わらず僅か5年で見事なカムバックを果たした。
 またコール・デハイデ氏の場合には、2度にわたる盗難に遭い、その都度大半の主要種鳩を失い、鳩レースを止めようと思ったにも拘わらず、見事な復帰を遂げ、しかもその血筋の活躍は、他の多くの鳩舎に及んでいる。そして自身昨年も素晴らしい成績であった。

 そこでド・ダィフ紙では、昨年末コール・デハイデ氏を特集で紹介したのに合わせて、弊社もその記事を再構成して紹介してみたい。   
                                      吉原謙以知

   

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最初に同紙の掲載したのは、同氏に対するインタビューである。しかしそのインタビューを紹介する前に、筆者の知る範囲での同氏のプロフィールを紹介しておこう。コール・デハイデ氏は、オランダでは有数の建築会社のオーナー社長である。オランダ南部ブレダー市の北郊マーデに住居を構え、筆者が延べ10回ほどお目にかかったかぎり、必ずスーツにネクタイ姿で、それ以外の服装を見たことがない。ちなみにこのような人物は、オランダ、ベルギーの鳩界では他に誰も知らない。非常に温厚物静かで、典型的な紳士である。それではインタビューに入っていこう。

DD(以下、ド・ダイフ紙インタビュアー) そもそもコール・デハイデさんは、一体誰?どんな人物なのでしょうか。
コール (少し考えた後)ごく普通の生まれの、ごく普通の男です。ただ少し実現したい夢を持っていたという意味で幸運な男でしょう
DD で、夢は叶いましたか。
コール ホー、まず最も大切な点では。つまり温かい家庭と、仕事の上での成功。それにそれ以外の楽しみ(鳩レース)ですね。
DD なるほど、ではその美しい三つのテーマについて。その家庭生活から話して下さい。それが一番大切ですよね。

コール それは全く疑問の余地無しです。私自身、7人兄弟の1人として生まれました。父親は大工、母親は主婦でした。両親は、子供たちに恵まれていました。それは戦後の貧しい時代で、誰でも若いうちに成功のチャンスを求めていました。しかし我々は、裕福で恵まれていました。
 私自身、幸運にもトニー(夫人)と結婚出来ました。我々には2人の娘がいます。私たち夫婦が誇りとしているモニークとイングリッドです。その内に我々は4人の孫を持つ祖父母になりました。モニークの許にはニックとクィンティン、そしてイングリッドの許にはセナとイェッセが生まれました。これは人生で最も幸せなことです。彼らは我々の未来であり、願いであり全てです。
DD 今、おっしゃられた名前は、貴方の鳩の名前にも見出せますね。
コール 確かに。モニークは、ナショナル総合10位、12位を飛び、イングリッドはナショナル総合12位の成績です。
DD すると我々が知っているドン・ミッシェルやドン・ジョンは貴方の祖先ですか?
コール (笑いながら)いやいや。彼らは我々の娘婿の名前です。やはり悪い鳩ではないですよ。ドン・ミッシェルはナショナルで4回100位内に入賞し、2回ZLUのナショナル・エース鳩となりました。ドン・ジョンもダックスN総合3位他の成績です。何故ドンという高貴な称号の名前にしたかというと、ドン・ジョンもドン・ミッシェルに劣らず優れた種鳩だからです。

 これはもちろん他の人の場合にもあてはまることです。例えばフランス・ブンゲネールスがバルセロナNで総合優勝した時、その名前をクィーン・トニー(コール・デハイデ夫人の名前から命名)としてくれましたし、エティエンヌ・メイルラーンは、彼の国際エース鳩第1位鳩をド・コールとしてくれました。これはもうお分かりでしょうが、私の鳩で成功された方々です。

DD コール、貴方は、既にチャンピオン鳩を作る為の繁殖者として偉大な概念となりつつあります。そこまでされるのに、家族に対しても充分な時間を裂けたのですか。
コール 勿論です。時間はあるのではなく、作るものです。ただ家で座っているのではなく、よく話をするのです。しかし予め計画して時間を作るとかはしません。仕事をきちんとしようとすれば、それは無理です。仕事も家庭も何もかも全てバランスよく時間をとるのは、殆ど無理です。ただ家庭にいる時間は、それなりに大切にするだけです。私は家には殆ど仕事を持ちこみません。
DD しかし更に鳩レースにおいても常にトップの座を維持するとなると、余計大変です。例えばバカンスなどはどうされるのですか。お孫さん達と遊んであげる時間はあるのですか。
コール 申し上げた通り、時間は作らなければありません。
DD コール・デハイデ氏のバカンスの間、また何日か他出される際は、会社の方はどうなのですか。
コール 勿論、何でもありません。建築会社の組織として動いていますから。今、私は会社の仕事には直接には係わっておりません。重要な決定事項でさえ、私がいなくても決まるようになっています。
DD それでは、話を最初に戻しましょう。自己紹介からお願いします。

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コール では家族のことから始めましょう。私は1945年、戦争直後に生まれました。今と異なり、若いうちから働かなくてはならない時代でした。12才でもう専門学校に行き、大工としての基礎知識を勉強しました。そして14才で既に建築現場に立っていたのです。仕事が好きでもあり、覚えるのも早かったです。またよく数字を扱うようにもなりました。これも私の得意な分野で、だから建築がライフ・ワークとなったのです。

DD それから、
コール 私は経験を積み、そして常により大きな建築に携われるようになりました。それと同時に向上心も増しました。だから私は、15才から23才まで夜学に通うようになりました。8年間、週に2、3回の通学です。私は建築請負業者になりたかったけれど、それには他の人に負けてはならなかったのです。それで実践と同時に知識を身につける為に学校に通いました。
 そして夢を実現出来る時代がやっていたのです。私の雇い主が、私に独立しないかと言ってくれたのです。
DD それは素晴らしい選択肢だった?
コール 本当にそうでした。1980年頃のことです。それは経済恐慌の時代でもありました。特に建築業界はひどかった。誰も待っていても建築請負の仕事など来ませんでした。私が、今や自分で始めなきゃと思った時、私は35才でした。娘達は11才と8才でした。私は暫くトニーと、そして家族や私の周りの人間と、その事を深く話し合いました。
DD そして生きる為に船出をしたと。
コール そういうことです。でもそれはけして馬鹿げた飛び込みをした訳でも、投資でもありませんでした。きちんと計画して、着実で地に足のついた規模で始めたのです。
DD 良い計画プランというのは、それは建築においては勿論重要なファクターでしょうから。
コール 良い計画プランは、建築の半分の要素です。しかしこれは他にも当てはまります。人生にも、そしてピジョン・スポーツにも。
DD 見事な計画とは何でしょう ?

コール 何事も最初の考え方、基礎哲学が大切だと思います。私の基本的な考え方というか理念は、まず企業を常に健全な状態に維持し続けることです。それは顧客が常に満足出来る状態に企業を保つことです。どのようにしたら顧客の満足を得られるか、それは顧客が期待している以上の仕事を成し遂げることです。それは予算の範囲内で、時間や方法を工夫することで出来ます。そうすれば満足出来る結果が期待出来ます。それから次に第二の、そして同様に大切なことは、全ての階層の社員が満足して働けるように気配りすることです。そうすることでお互いが尊敬の念を持って働くことが出来ます。
DD それは素晴らしいフィロソフィーだと思います。貴方はそれを長年にわたって実現出来たとお考えですか。
コール そう思います。これまでにうちの会社は125名を越える社員となりましたが、同業他社と比べても遥かに少ない離職者しか出しておりません。そして顧客もかなりの大手企業が固定客となってくれております。
DD 社員125名というのは、大きな建築会社ですね。
コール この他に、うちの関連企業の従業員が数百人いるのですが、もちろん皆一緒に働いている訳ではありません。会社と同時に会社の構造も大きくなりました。現在は、株の保有会社という形で4つに専門化というか、分社化しているのです。でも理念は一緒です。それと同時に私も発展させて貰うことが出来ましたよ。(笑い)
DD 貴方が築き上げたこの企業文化を、一言で言えば「尊敬」ですか。
コール はい。基本理念ですね。言いかえると二つの言葉に象徴されます。(社員相互の)尊敬と、連帯です。我々がこれまでに到達したのは、我々皆で到達したのです。だから私はウチの社員のどの階層に対しても尊敬しています。
DD 貴方の企業名LZズワルーヴェ(燕の意味)は、どのように命名されたのですか。
コール 難しく考えたのではありません。ラーガ・ズワルーヴェは、丁度私の住むマーデ同様、ドリンメレン地区の一部です。ブレダー市の北8キロの所の地名です。そして全てがそこから始まりました。創業時の事務所、というよりむしろ当時は物置でしたが、それに中古品の事務用家具をおいてスタートしたのです。正式名称は、ラーガ・ズワルーヴェ=建築請負会社です。そこからLZ。しかし通称はズワルーヴェで通っています。現在は全ての建物が、国内2ケ所に移転しました。
DD 私は貴方がてっきり燕、鳩と鳥が好きなのかと。
コール そんなことは考えたこともありません。実際、仰っしゃられた通り、鳥は好きですがね。子供の頃から鳥に対する親近感は強かったですよ。遊び友達が知らないことも知っていました。ずっとよく馴れたカササギだのカラスだの或いは森バトだのを飼育していました。そして父親から貰った若鳩は、肩に乗せて歩き回っていましたよ。
DD それは貴方が、今現在多くの鳩飼いとどこが違うのかを探る手掛かりになるかも知れませんね。多大な責任を負う仕事との兼ね合い、つまり失敗せずに仕事をキチンとこなしたという。
コール いやそれは一番うまくいきましたね。私は丁度よい距離を保てたのです。ストレスは健康にも良くありません。私はそれを補うバランスが凄く大切だと思います。例えば鳩は私にとって完璧な排気弁の役割を果たしてくれます。しかし同時に多くのスポーツもやったのですよ。テニスに柔術、柔道。
DD 話がスムースに鳩レースに来ましたね。ピジョン・スポーツは、決してストレスになりませんか。勝ちたい、負けたくない、期待の鳩が帰って来ない・・・。
コール 眠れないこともあるのだということも話したいですね。それは私、いや我々家族全てにとってでしたが、30年間会社の仕事は順調に来ました。しかしこれはその間厳しい時が無かったという意味ではありません。家の外には鮫やオオカミがいて、我々は2回もそういった悪い犯罪者に遭遇しました。それが眠れない結果(鳩の盗難)となったのです。
DD 彼ら犯罪者が貴方の鳩を盗んだ経緯について少し触れてくれますか。
コール 凄く似たケースでした。彼らが最初に私の鳩を盗んだのは1998年1月でした。私はもう殆ど立ち直れないほどで、完全に意気消沈していました。しかし暫くすると杖を振り回せるようになり、同時に大抵の人々は良い人達だという考えに立ち直れたのです。
もともと私は鳩レースに於いてと同様、仕事でもポジティブな人間です。そうでなかったら二度と笑顔が取り戻せなかったかも知れません。
DD 痛みは完全に癒えましたか ?
コール 盗難が遭った後、私は随分と多くの支援や友情を知ることが出来ました。私の周囲の人や近隣の友人も遠くの友人も含めて。それだけ多くの実際に私を助けてくれようとした友人達を持てたということは、ひとつの美徳です。彼らは実際によく私を助けてくれました。私はこのことを忘れませんし、何かあったら、彼らも私を頼ってくれてよいのです。
しかし貴方の質問に答えるならば、その通りであれば良かったのですが。2009年の2回目の盗難で、信じられないほど多くの鳩が盗まれてしまったのです。残念ながら今では知らない人を鳩舎に伴うのは止めました。彼ら盗人は、2回私の鳩を盗んだだけでなく、私からピジョン・スポーツの楽しみも奪ったのです。他の鳩飼いと本当の意味でよく一緒に鳩を見る、というのはウチでは殆どしなくなりました。自分でも残念なのですが、彼らが私に選択の余地を与えなかったのです。
鳩舎もそうです。見れば分かりますが、まるで監獄です。スチール製のスノコ、窓枠、ドア、壊されない鍵、ハンマーで叩いても割れない窓ガラス。それにアラーム装置。
一種の名誉税と諦めてはいますが。
唯一幸運なのは、例えばベルト(彼の鳩舎ハンドラー)やルイー(コールの弟)と一緒に、鳩レースを楽しめていることです。
DD 質問を戻しますが、鳩レースで勝ちたい、或いはもっと勝とうというのはストレスにはなりませんか ?
コール 鳩レースは、私にとって本当の気晴らし目的なのです。私にとって趣味ではありますが、それはだからといって勿論アマチュアで満足するという意味ではありません。何かをする以上は、ちゃんと成し遂げないと満足出来ないのです。幸運も必要ですがね。
DD しかし貴方が仕事の上でと同様に、鳩レースでも手抜きなくやろうとしているのは、素晴らしいことですが、そこには共通点はありますか。その到達したレベルの鳩質と仕事の上での品質、そういったものが成功の秘訣でしょうか。
コール それは普通にイエスと答えましょう。しかしだからといって一つの公式を示せる訳ではありません。私はそれが一番良いと思えることを普通に実行しているだけです。
DD ちょっと待って下さい。貴方は鳩レースにおいても計画や目的を明確にした上でスタートしたのですね。
コール 勿論です。私は、本当のところ2回鳩レースを始めたのです。なぜならLZズワルーヴェの創立時は、何も出来ませんでした。当時も鳩はいましたが、かまっている時間はありませんでした。それは1981年から90年の間です。まあ入賞はしましたが、それは運が良かったり座興的なレース参加であったり。私の関心は次第に高まり、1990年頃になってやっと自分が仕事上すべきことは達成し、鳩レースに戻ることが出来たのです。


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DD 貴方はどのようにして鳩レースに接し、また誰が先生だったのですか。
コール 私の周囲にはずっと鳩がいました。父が鳩を飼っていました。2人の叔父が鳩を飼っていました。私の同僚も自宅で鳩を飼っていました。それは全く旅行をするだとか、テレビを見るだとか、コンピューターに触れるだととかとは異なる時間でした。家では父親と短距離レースだとか、クラブのスケジュールに沿ったレースをしていました。しかし私はもっと難しい目標をたてる夢を持っていました。父親と一緒にやるのでは満足出来なかったのです。自分は最高でなくてはならない。でもウチでは鳩に感染したのが私だけではありませんでした。兄弟のルイーも鳩を飼っていたのです。
DD 兄弟で良い鳩を一緒に買いに行ったのではありませんか。
コール 最初はそうではありませんでした。しかし私は自由な時間に随分とアルバイトをし、良い鳩を買う為にお金を貯めたのです。
DD それで最初はどんな鳩を基礎鳩にしようとしたのですか。
コール 私はかなり知識に対しては貪欲でしたから、鳩レースに関することなら何でも読み漁っていました。私はそこに自分を投影しては、自分もいつかは自分の血統を創り上げるのだと、密かに夢見ていました。私が言うのは、いわゆるカトリス、ヤン・アールデン、デルバール、スタッフ・デュッサルダイン、ボスチンといった鳩舎の全盛期のことです。彼らは私の手本だったのです。

私は当時、1968年頃のことですが、ゼッゲに住むピート・ラーズロームと親しくなりました。ピートは、その頃コンクリートを補強する為に鉄筋を入れる仕事をしていました。彼は非常に熱心な鳩レースマンであると同時に、それ以上に熱心な鳩の収集家でもありました。実際のところ彼は私にとって唯一無二のヤン・アールデン系の導入責任者でした。彼は純粋なヤン・アールデンの血統を飼育している人なら誰でも、アントン・リヒテンブルグ、フランス・ゲールセ、それにクリスト・ストッフェレンといったところから鳩を導入し、その最たる例としては、当時ヘンク・ファンアグトマールやヤン・ファンドパルの鳩舎は、根こそぎ全鳩購入したのです。私は、彼が一体何羽鳩を飼育していたのか分からなかったとは思いません。しかしそれは正しく山ほど飼育していました。
DD それなら貴方はラーズロームの驚異の鳩(複数形)をご存じでしたね。有名なシリーズ入賞鳩(同一レースで上位に入賞した同一鳩舎の2、3羽)であった002と003、ド・ヴォンデルドィビン・26、ド・シュプルート、ド・フーデン・クラック。
コール 知っていただけではありません。今挙げられた鳩の全ての直仔も孫も持っていました。私はすなわち1978年に、自分のアールデン系を確立するのだという固い決心のもと、迷わずにピートのところから成鳩8ペアを導入したのです。
DD それでそれは成功しましたか。
コール 当時は駄目でした。ノーです。それは私が事業を開始した時期にぶつかり、私にとっての優先順位もまず会社でしたから。鳩レースは二の次となり、アールデン鳩舎からは家に何も生まれませんでした。それでもピートの鳩は安定して上位入賞してくれたのですよ。例えばサンバンサンN総合7位なんて。
DD それでも成功とは言えなかった。
コール それは事実です。だから1990年、私は再び固い意志で、目的の鳩を持ち帰る為、ピート・ラーズロームのもとに戻りました。私はそこで8羽を選ぶことを許され、そしてそこにクランパーがいたのです。

※注)クランパーは、P.ラーズローム作のコール・デハイデ鳩舎基礎鳩。意味は、猛禽類の1種の名称で、その猛禽類により負傷していたからこの名がついた。

DD そしてそこから知られている歴史が始まった。それ(クランパーが導入出来た事)は、幸運であったと? 宝籤で1等を引き当てたような。
コール 誰でも多少の運が伴わなくてはならないでしょう。でも自惚れでない証拠に言いたいですね。私はその頃1羽の小さな濃胡麻の雄に最も期待していたのです。当時、クランパーがそれほどの鳩になると思っていたとは言えません。しかしそれでも全てが偶然とは思えないのは、その時の8羽の内にクランパーの半兄弟1羽、半姉妹が1羽いたのです。全て異父兄弟姉妹でした。振り返ってみると、その雌がスーパー種鳩であったという事です。
DD 私の知るところでは、貴方がクランパーを導入した際、既に6才でした。彼は既に前歴を残していたのか、或いはどんな優れた系図を持っていたのですか。
コール 何もありませんでした、猛禽類に背中を負傷させられていたという事以外は。だから彼はレースに参加する事もなく、ラーズロームが彼を淘汰していなかったのが、奇跡でもありました。だから運が良かったと言えば、それは鳩にも当てはまるのです。それで私は後から血統の情報を貰いました。父親はド・500の近親で、母親はこれも殆どがヤン・アールデンのヨーピー・スプレンケルス夫人のバルセロナN総合2位の娘でした。
故ペーター・ファンラームドンクが、彼の素晴らしい写真を撮ってくれましたが、背中にコブのある写真です。彼の魅力は、正に独特でしたよ。
DD しかし貴方は、クランパーを血統で選んだのではないという事ですよね。
コール 違います。血統ではありません。また付け加えると彼は当時まだド・クランパーという名前もありませんでした。それは後から私が彼に付けた名前です。クランパーは、私が要らないような他の売り鳩に混じっていました。しかし手に持つと優秀な鳩なら備えていなければならない要件を全て備えていたのです。
DD 貴方はクランパーを選ばせた、鳩質を判断する知識を、どこで得たのですか。
コール それはまた別の話ですね。少し後戻りさせて下さい。

私は、同郷の仲間、ヘンク・デヴィールトと、ほぼ同じ年代の生まれです。彼とは鳩を通じて知り合い、友人同士となりました。私はもちろん彼の父親の名声は知っていましたし、偉大なピート・デヴィールトに会うことが、私の鳩レースの成功の為には欠かせないと思っていました。私はまさしく実際にピートに会い、気持ちが通じたのです。彼は私の若い情熱に引っ張られたのです。それに・・・、私はピートに気に入られる最高に有利な点がありました。それは私が車を持っていたことです。ピート・デヴィールトは即ち彼本人は、車の運転が出来なかったのです。(交通事故の故に)それでその役割は常に第三者か、公共交通機関に委ねられていたのです。1人からまたもう1人へ、偉大な鳩の巨人ピート・デヴィールトは、ベルギーやオランダを巡ることで、私に無数のチャンピオン鳩を掴ませる機会を与えてくれたのです。 
DD ピート・デヴィールトから多くの教訓を学んだのですね。
コール はい。しかしそれだけではありません。私は20才代で、既に多くのチャンピオンや大種鳩を掴むことが出来たのですよ。それで良い鳩を知る為にもかなり有利でした。それで自分の鑑定を克明に私のデータ・ブックに記したのです。そして傑出した鳩がどうあらねばならないか、そして外見はどうあるべきか大凡つかめるまでには、長くかかりませんでした。

DD 面白くなってきましたね。貴方は何百羽もの中から、どのようにしてクランパーを選んだのですか。
コール 貴方を幻滅させるのは不本意ですが、しかしそれを一言で言うことは出来ません。どうか私が何年間かで多くのチャンピオンを含め何千羽もの鳩を掴んだという事実に目を向けて下さい。そう私は、思うのですが、自分の選別方法を少しずつ、ほんの少しずつ身につけたのです。しかし同時にかなりの部分生まれもった部分もあると思います。それは閃きとか、直観という部分です。そしてこればかりは、説明することも伝えることも出来ません。でも・・・、試してみましょうか。
 第一印象というのは、実際非常に重要です。(取材では皆そう言うのは分かってますが、)掴んだ瞬間の感じ。バランス、固有の重み、鳩質、羽毛の豊かさ。
 良い鳩というのは、いつだって掴むのが嬉しいものです。私は例外となる鳩を知りません。
 それから次に各部です。小さい鳩ならば、それなりに纏まった筋肉を備えていること。自動車レーサーが、自分の車に強力なエンジンを載せたがるのとは、訳が違います。筋肉は長くて柔軟であるのが良いのです。特に長距離鳩はそうです。そして少しでも生き生きしていること。これは、言葉では言えません。自分で学び、感じなければ。
DD この時点では、まだ貴方は鳩を見てはいませんね。
コール いえ、少しは。鳩を掴むと同時に鳩の背中の色素の出方も見ていますし、と私は思います。鳩の羽色の色素というのは、深みがあり、温かみを感じさせ、輝いていないとなりません。それ以上、うまい言い方は分かりませんが。羽色の色素がくすんでいるとか、枯れた感じの印象を受けるのは、その血統が下降線を辿っている証拠です。そして羽毛の色素が良い場合、往々にして目の色素も良い場合が多いのです。
 (少し、脇を見ながら)我々は、これらを言葉で表現するには、語彙が貧しすぎるのです。しかしその間に、確かに我々は鳩を見ているのですよ。目も、その印象を。良い鳩というのは賢い眼差し、というか言いかえれば油断の無い眼差しをしています。彼らは備わった賢い目で、全てを観察しています。それもやはり型にはめ込むのは無理です。しかし私は、見えるアイサインだの目の特徴などよりは、ずっとその眼差しを見る方を重視します。
 それから勿論、ピート・デヴィールトが言うところの、彼の言葉を借りて言えば、バイタリティ、生きる力、エネルギーといった点。
DD それはどうなるのですか、ピート・デヴィールト風に言えば。
コール それにはひとつの指標がありますが、私は嘴を開いて見ようとした時、それを逃げるように頭を振るような仕草も好みます。
 だからと言って、何なのです。鳩質とは何なのかと。
 考えてみても下さい。私と貴方がウサイン・ボルトの隣にいたとしても、誰が私たち2人のうち1人が彼に勝てると思いますか?そこには既にレベルの違いが有り過ぎるのです。一流の鳩と二流の鳩の違いというのは、既に開きが大きすぎるのです。1羽だけを見てその違いが分からなくてはならないのです。本質的に生命力というのは、迸るほど感じられる、豊富に備わっていなければならないものなのです。
DD そうなると健康についても重要ですね。
コール もちろんです。1羽の鳩が如何に生き生きしているか、健康であるか、そして自然に強健であるか。鳩を飛ばす強力な乾電池かも知れません。生きる力、即ち動力の源ですから。
DD では我々鳩飼いは、何故全てを見ないのでしょうか。なぜ必要もない二流の鳩を沢山飼っているのでしょうか。
コール 簡単ですよ。我々は、誰だってそう厳しくいられる訳じゃないからだ。我々は良い血統の鳩を持ちたがる。きれいな鳩の写真、素晴らしい血統、チャンピオンの直仔だ、孫だ、或いは兄弟姉妹だ。私には人がインターネットで、見たこともない鳩を、その宣伝文句だけで購入するのが理解出来ません。まあ人それぞれですがね。

DD 貴方は、少ない飼育羽数でもそれを有効に駆使する確信をお持ちですね。
コール 確かに私は鳩については、まずまずの見方が出来ると思います。私が順に鳩を導入したり、交流したいくつかの鳩舎の例もあります。そして再三にわたって私は鳩質を成績も伴って、かなり向上させることが出来ました。そしてこれらの鳩舎もまたかなり幅広く活躍しています。
DD それはまた同時に貴方が実際に、ほぼ一生と言ってもよいほど鳩界のトップの成績を維持していられる理由でもある訳ですね。
コール そうでしょうね。か又は誰でも35年間、幸運にも恵まれ、良い鳩を入手出来れば同じかもしれません。貴方だって、誰かが或る日、素晴らしい当たり交配を手に入れ、チャンピオンになった人々の例をご存じでしょう。でもその一度の幸運を得ても、その当たり交配の種鳩が死んだり、売ったりしただけでその活躍は、もう続かなくなるのですよ。 
DD 貴方は、誰でも素晴らしい鳩を手に入れれば、誰でもチャンピオンになれると。
コール もしまずまずの鳩舎を持ち、普通の規則正しい管理が出来るなら、答えはイエスですね。私がなぜそう言い切れるかと言うと、私は唯一鳩質というものしか信じないからです。
DD それではレース・システム、給餌法、特別な飲み水だの錠剤を与えるだのは関係ないということですか。
コール 私に言わせればノーです。何百という飛ばし方のシステムがあり、何百という給餌法があり、それなりに結果を伴っています。私は全く単純です。全てネスト・システムで、ひとつの餌で全ての鳩を管理する。考えてもみて下さい。どんなチャンピオン鳩舎でも、どの鳩にも同じ管理をするでしょう。同じ薬だ、餌だ、舎外だ。しかし最高の鳩とそうでない鳩は、成績が全く違う。
DD それでも良い鳩舎は必要だ。
コール それはそう。乾燥していて、通風が良いこと。


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DD 過去に、2度も卑劣な盗難に遭遇したにもかかわらず、20年にわたってどうやって好成績を維持出来たのでしょうか。コール・デハイデ流作出術とは何でしょうか。貴方は近親交配主義ですか?
コール 異血交配と近親交配というテーマは、議論のあるところですね。私は、自然界もよく見ますが、雀とクロウタドリ(雀同様一般的に見られる真っ黒な小鳥)が似ているからといって、彼らが同じファミリーでるかどうかなど気にしません。基本的に関心がないのです。私にとって最高の作出の最も基本的な考えは、最高の鳩同士を交配するということです。もしそれがたまたま半兄妹同士ならそれでも構いません。鳩はその程度の近親には充分耐ええます。ただひとつ私の考えでする場合、厳しくならねばならないのは、淘汰選別です。
DD しかしそうは言ってもやはり新しい血が必要なのでは?
コール 勿論ですよ。しかしその為にはウチの厳しい入学試験に通らなくてはなりません。素晴らしい血統書だけで良い訳ではありません。完成された鳩と不完全な鳩を交配すると、得てして不完全な鳩に戻ってしまうことが多いのです。特に鳩質とか生命力は、そうです。
DD でも見えない部分がありますよね。例えば帰巣能力のコンパスであるとか、帰巣意志の有無といった点。
コール 帰巣しようという意志は全ての鳩にあると思います。ただそれは、その置かれた環境、コンディション、巣状況(卵やヒナを抱えているか、配偶鳩の有無)によって変わるだけです。そしてそれこそが、飼育者が如何に鳩の帰巣動機を高めるかという点で、技術やアートとも言える腕の見せ所なのですよ。
 それからコンパス、帰巣能力について言えば、実際に見ることは出来ません。しかしこれは私の考えでは血統による部分が大きいと思います。良い方向判定能力というのは、遺伝すると考えているからです。だからこそ私は少しでも優れた鳩を探し求めるのです。つまりナショナルレース総合優勝鳩よりはエースピジョンを。更にもっと良いのはただ良い鳩だけを作出してくれる種鳩です。しかし彼らは常に期待以上の答えを要求されています。
 現実に私が導入するのは、少なくとも私の血が半分以上入っている鳩だけで、それが一番良い結果にもつながっています。このやり方をとることで、2回の大きな盗難の後も素早くレース成績を回復することが出来ました。
DD 何か全く違いますね。僅か4羽の(基礎鳩クランパーの)孫で、コール・デハイデ鳩舎は、こうもうまく好成績を継続出来ると?
コール 確信があるわけではないんですよ。望む通りになるかとはね。さしあたって出来る通りにしているだけです。
DD それは、何か悲観的な考え方のようにも聞こえますが。
コール 多少は仰る通りかもしれません。でも分かって下さい。数が減ったことをぼやいている訳ではないんです。
DD それで?
コール 私が最も残念に思うのは、ピジョン・スポーツがそのルーツを否定していることです。つまり鳩レースは、国民的スポーツ、或いは国民的な趣味であったのに、あっと言う間にエリートだけのスポーツになってしまった。その最も大きな原因は、メガ・ロフトというべきか、大型鳩舎による商業主義的なことが原因しています。初心者の人達は、30羽や50羽の鳩でレースを始めても、何十メートルもの長さの大きな鳩舎を持ち、高価な鳩が簡単にインターネットで簡単に売買されているのを見れば、とてもこれは入り込める世界ではないと思ってしまうでしょう。
特に若い人達は、そんな金額を支出出来ない訳ですから、やる気を失いかねない。鳩レースは、皆が沢山の鳩を飼い始めたことで、同時に高価な趣味になってしまったのです。
DD だからあなたも?
コール いいえ違います。私は自分のコントロール出来る飼育規模を保っています。広げようと思えば広げられるスペースもありますが、そのつもりは有りません。と言ってミニ・ロフトでもありません。自分で全体を見られる規模です。自分で全ての鳩を見て、把握しているつもりです。
DD 全ては貴方の目的に適っていますね。つまりピジョン・スポーツは、くつろぎであると。つまり鳩レースは、日常の他の(仕事)生活とのバランスであると。
コール その通りです。鳩レースというのは、私の生活の中で禅の瞬間だと思っています。私が鳩舎に行き、鳩を掴む。するとその瞬間に、私も私の周囲も全てが静寂に包まれるのです。それは純粋に愉悦の時であり、素晴らしい鳩達と一体になれる時なのです。
そしてお分かりでしょうが、鳩というのはその空気を読むことにかけては達人です。もし私が鳩舎に入る時、緊張していたり、そわそわしていたら、鳩はすぐにそれを感じ取りますよ。ふつうは私の足の周りにまとわりついている鳩が、必ず距離をおいてきます。だからとにかくゆっくりとね。
DD では鳩を掴まえるのも儀式のようなものだと?
コール 全くその通り。私にとって、1日1回鳩を閲兵すること無しに1日は過ごせません。鳩を見に鳩舎へ行きましょうか。私は今、お気に入りの鳩を見る場所を設けているんです。そこでは夜でも鳩をちゃんと見られるような強力なハロゲン・ランプを設置してありましてね。冬とか湿った風の強い日でも快適に鳩を見られるようにしているんですよ。
DD そしてそこで鳩を掴むことで禅の境地に入れると。
コール 確かに。真剣でありながら、心地よい安らぎを覚えられると言いましょうか。それは1日中木の下で、鳩が1000Kの遠きから帰ってくるのを待ちわびているのとは違います。素晴らしい日常なんです。
DD で早く鳩が帰ってきたら。
コール それは勿論違いますよ。それに私が非常に重視するのは、どの鳩でもレースから帰ってきたら、必ずその鳩を掴んで、どのようにレースを戦ったかを理解することです。そこから学ぶことは多い。
DD コール、貴方はまるで何でも世界中で当たり前の普遍的なことであるような話し方をしますね。貴方は、貴方が鳩の世界で達した境地もごく普通に話されるけど、余りにも遠慮した言い方に聞こえます。遠慮していませんか。
コール とんでもない。貴方は私を聖人にまつりあげる気ですか。私はただ常に両足でしっかりと立ち、真面目であり続けながらも、同時にスポーツマンとして自分が鳩の世界で到達出来た部分については誇りを持っていよう、と心がけているだけです。
 確かに何もかも自分の為ではありません。私は多くの人々にそれは随分と感謝していますし、それを口で表すことも忘れないように心がけています。私は自分が実現したこととか成績を持って何かを人に言うタイプの人間ではありません。出来るだけ誠実であるべく、だから貴方が正しい道を歩んでいるとするならば、それをきちんと認めるような誠実な人間でいたいと思います。
DD それはしかし実に人間的じゃないですか。でも見せかけの謙虚さに身をおおうよりは良い。
コール (微笑みながら)もし誰かがある時、1枚の(活躍鳩の)血統書に私の名前を記していないのに出くわしたとしても、私はそれこそ禅の心で、余りそういったことに反応すべきではないのかも知れませんね。
DD 実際、よく(貴方の鳩で)レースしている人々のリストを書き出せば、かなりの長さになるでしょうね。
コール 私が、人には常に最高の鳩を手渡そうとすることは、何も特別なことではありません。年々、ナショナルレースの上位リストに、クランパー血統が少しずつでも増えていくのは、見ていて非常に良いものです。クランパー血統は、ワインのようなものです。年を経るごとに良くなっていく。或いは私は、私がとてつもない幸運を引きよせたのだと、もっと信じて、もっとその事実を重視しなくてはいけないのかも知れません。

DD コール、そろそろ最後になるけど、読者に何か一言お願い出来るかな。

コール 特に私は鳩飼いが好きだし、だから、「鳩を愛せ、そして我々のスポーツを失くすな、泣くほど夢中にはなるな」です。
鳩レースというのは、シンプル、単純なスポーツとも言えます。非常にシンプルであって、その素朴さの中に、美しさもあるのです。
DD 正しくチャンピオンのお言葉の数々、コール、長い間ありがとう。このインタビューのことは決して忘れることはないでしょう。

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