
ベルギー・モースリード 〜ルク・シウン鳩舎(其の1)〜
島村 正
2008年6月24日、独り旅立ちました。ベルギーの西フランドル地方へ向けて。
今回滞在した西フランドルは地理的にはベルギーの北西に位置しており、西にちょっと車を走らせるとフランスの放鳩地というロケーションののどかな美しい街でした。今回渡欧の目的は将来(意外と近い)レース鳩を生業として一人前になるための一種の修行を積んでくることで、そのわりにはたいした準備もせずに渡りましたが、日本とは異なる文化の国で、唯一の共通項である鳩レースを通じ、さまざまな人と出会い、交流がスタートし、本当に有意義な時間を過ごせたと思います。 これも日頃支えてくださっている周囲の皆様のお陰であると感謝しています。

今回僕が2週間泊めてもらった場所はルク・シウンの家でした。ルク・シウンは現在41歳で、サンバンサン等の翌日長距離レースを主として得意としている鳩舎です。
今年の1月に亡くなった父親の代から鳩を飼っており、若い頃は有名なレオポルド・ボスチン鳩舎のハンドラーも4年間つとめていたそうです。別れの前日にボスチン鳩舎が存在していた場所に案内してもらいましたが、かつて存在した鳩舎はすでに取り壊されており、かわりに大きな会社の倉庫が建っていました。 地元モースリードの英雄であるボスチンの他にも昔からフランドル地方には、ファンブリアーナやファンネ、ファンデール・エスプト、アンドレ・ブルッカールト、さらに車で1時間ほど南にいけばモーリス・デルバール、デズメット=マタイス、ジョルジュ・カルトイス等長距離の名だたる鳩舎がたくさんあり、良質の長距離バードを世界中に数多く送り出した鳩史における重要な場所です。

1.庭は整えられていて広い

2. かつての長城鳩舎

3.長女インドラと長男シードリック

4. 舎外を見つめる奥さんヒルデ
庭はホントにため息がでるほど広くて綺麗でした。夜はベルジャン・シェパードが放し飼いの緊迫状態で、今流行の鳩ドロボーがたとえ侵入したとしても高い確率で噛み殺されるのではないでしょうか。生活はベルギーの一般家庭より裕福な印象です。写真はとりませんでしたが、泊めさせてもらっていたロフト部屋の内部にはサウナや日焼けマシン等があり、ちょっと驚きました。
写真1は左が今年生まれの若鳩鳩舎で右側が一才鳩鳩舎です。舎外、持ち寄りの担当責任者は奥さんのヒルデ・シウンです。
写真2の大きな壁のような鳩舎はかつての長城鳩舎?2階にWシステム用の部屋が7つか8つあります。1階にWシステム用の♀が飼育されています。Wシステムで使用する♀はレースが近づくと下駄箱くらいのの小さな箱にそれぞれ閉じ込められ、意図的に寂しく切ない気持ちにコントロールにさせられます。その他1階には台湾等海外に送る鳩を収容する部屋もあります。1000羽くらいは楽に収容できるようになっています。 数年前には毎年数百羽のいろんな鳩舎のトリを海外に輸出していたそうです。現在は子供が小さくて忙しいのでたくさん収容できないとのことでした。
僕が滞在中は長城鳩舎の1階の世話と住居の屋根裏(下?)部屋にある主要種鳩部屋の作出の世話を担当していました。(いえ、させてもらってました。)でも、正直言って普段はハンドラーもいないのによくこれだけ鳩の世話出来るもんだなあと思いました。
特に奥さんのヒルデは2人の小さい子供を抱えながら、若鳩、1歳鳩の鳩舎の掃除から舎外訓練、持ち寄り、審査までやりながら買い物、炊事、洗濯、血統書他インフォの作成!等までなんでもこなし、 まさにスーパー・ヒルデだな(そういえばこないだのポール・ヒュルズの競売にそんな名前の鳩がいたな)、と感心して見てました。ルク・シウンは本当にいい嫁さんもらったなと思います。そのヒルデはなんと、シウン・ファミリーの家のとおりをはさんだ真向かいの家で生まれ育ったそうです! ヤン・ヘルマンが教えてくれました。

代表鳩の美しいポスター、売れっ子ピジョン・フォトグラファーであるドミニク・フェルフェ氏の製作
6月27日 〜6月の終わり
バルセロナIN、サンバンサンN(1才鳩)の持ち寄りまで1週間ほどにせまり、ルクと一緒に毎日50〜60Kmの訓練にフランス方面に行きました。毎日それぞれ異なる場所から離しました。バルセロナは早朝放鳩ではないので10時〜11時頃飛ばします。♀だけ飛ばします。♂は訓練は必要ないという考えです。曇りの日はだいたい一斉に放し、晴れの日は単羽で放すこともありました。イルグリロやファビアン等の代表レーサーを完全に種鳩部屋におろしたので、彼らにかわる新しいスターの出現を期待しているとのことでした。 レーサーの中にはバイオレットの凄い眼の鳩が何羽かいました。

待ち時間

10羽未満です。

放鳩

アンドレ・ヘイゼルブレヒト鳩舎へ向かう途中のとある場所

やはり行方が気になります。
6月某日


アポの時間ちょうどに門が開きます。 門から鳩舎まで数百メートル走ります。
ルク・シウンがミッシェル・スティープリンク鳩舎に連れてってくれました。スティープリンク氏は元KBDB(ベルギー王立鳩レース協会)の会長でベルギーの鳩界では5本の指に入る富豪のようです。ルク・シウン鳩舎の基礎鳩ブレヒトの筋で2005年ダックスIN総合優勝しております。05年のダックスは例年のダックスと違って高温、逆風の難レースであったそうです。その中での総合優勝ということで評価が高いようです。その鳩は“ミッシェル”という灰の♂ですが、長手で腰も骨格もしっかりした素晴らしい鳩でした。

邸宅、鳩舎は大きな森に囲まれています。

スティープリンク氏はルク・シウンの“ブレヒト”のラインにアンドレ・ブルッカールトの鳩をかけ“ミッシェル”をつくりました。スティープリンク氏はブルッカールトと親しい仲だったためにブルッカールト氏が鳩レースを引退するというので種鳩をほとんど引き取ったそうです。せっかくなので何羽かブルッカールト鳩舎の種鳩を掴ませてもらいました。“ミッシェル”同様やや長手で腰のカタチも良く骨格もしっかりした素晴らしい鳩でした。ざっと見た感じでは羽色はやはり灰が多く、ちなみにとても大切にしている種鳩の眼はグリーン(グリューンオーガーと呼びます)でした。僕はこの鳩舎の鳩が猛烈ほしくなったのですが、なんとか我慢しました。

左05年ダックスIN総合優勝鳩“ミッシェル”
ミッシェル血統クリック
♀親はファンブリアーナ、ブルッカールトのクレヨネ、トリマールド(いつも外にいる、という意味)の筋にルク・シウンの基礎鳩ブレヒト、バルセロナIN史上最多羽数?総合優勝鳩リッキー(バクス/蘭)にファンネとベルギー伝統の系統がうまくブレンドされています。


種鳩鳩舎 左スティープリンク氏と右ハンドラーのプラティーユ氏

トランポリンの上でごきげんなシードリック君
つづく
7月のはじめ

受付嬢はファンネ氏の孫でした。
鳩レースにおける最大のイヴェント?バルセロナ国際レースの持ち寄りに同行しました。持ち寄りは常に妻ヒルデの役目です。車で20分ほど走ってパブに着くと、すでに4,50人ほど人が集まっていました。 鳩時計の受付はファンネ氏のお孫さんでした。 銀行の順番待ちのような札を受けとり、ビールを飲みながら順番を待っていると、次々に有名な鳩飼いが現れます。 ほとんどの人が数羽づつしか持ってきません。

70歳をとっくに過ぎたおばあちゃんがひとりで鳩を持ってくる姿には驚きました。イヴォ・ファンデフェルヴェ氏の未亡人でした。 有名な人だからケンに聞けば教えてくれるわ。といわれました。彼女がだんなさんが亡くなった後もピジョン・スポーツをやめないで継いでいるのを見て、日本との違いをちょっと感じました。 棚には歴史を感じさせるたくさんのピジョン・タイマーが飾ってありました。 自動入舎装置はベルギーは8割がブリコンです。残りの2割はチップスとユニコンです。 ベルギーはオランダやドイツより普及が遅かったと聞いていますが、3国の中で最も高齢化がすすんでいた為に、ややこしい機械にパニックにならないよう導入に慎重にならざるをえなかったのでしょうか? 別の日の中距離レースでの持ち寄りでは、若者がすくないせいか、有名なエリック・ベルクモスがパソコン係をやっていました。(やらされていました?)



“オルハン・66”B01-3016166 “イル・グリーロ”B05-3100035
オルハン66はルク・シウン鳩舎の基礎鳩であるブレヒト(カトリス×ヒュースケン・ヴァンリール系)とバクス作、ヤン・テーレン使翔で93年バルセロナIN33,196羽中総合優勝のリッキーにブリュッヘマン兄弟のこれまた有名なオルハンという3羽の豪華な銘鳩の孫でルク・シウンにとって重要な種鳩です。右のイル・グリーロはオルハン66の直仔で2006年にサンバンサンIN総合優勝しています。オルハン66、イル・グリーロはクリオネらと共に屋根裏のVIP種鳩部屋で大切に飼われています。
“オルハン・66”דア-チェ”(94-478/ オルハン×メラティ 有名なスマリ・スマラの母)の娘
滞在中ずっと気になっていた雌2羽(同腹)、尋ねてみるとルク・シウンもお気に入りに雌で、ハインチェやヤルナ(ハーゲンス兄弟のアンジェロの全兄弟)の近親鳩とここ数年配合されていたそうです。素晴らしい雌です。2羽とも眼は濃厚なヴァイオレットです。



06’サンバンサンIN総合優勝×08’サンバンサンIN総合優勝
(左が“イル・グリーロ”で右が先月導入したての“イローナ”)
来シーズンはこのペアで作出する予定です。
6月某日
ヨーロッパにおいて鳩はレースに使うだけではなく、美味しく頂く存在でもあります。 高タンパク、低脂肪のその肉は特にアスリートの人達にとっては最適で、ツール・ド・フランスの一流選手などは1週間に何羽も鳩を食べるそうです。

インドラは余裕でお手伝い。

鳩、芋、ビール(美味い)
ベルギー鳩定食。

思い切ってくらいつく私。
まだ髪が…
慣れていないので、ケモノ臭を感じました。すっかりメタボな私にはちょっとカロリーが物足りない感じでした。出された食べ物は決して残さない主義なのでなんとか完食しました。
7月某日
ベルギーのイーペルという町では毎週土曜日の夕方に、ヨーロッパで第一次世界大戦で戦死した犠牲者を弔う式典がメモリアルゲートの中で行われます。
ゲートの内側の壁面にびっしりと戦争で亡くなった人達の名前がびっしり刻まれています。
バグパイプの荘厳な音色を合図にに集まった欧州の人々が心をひとつにし、二度と戦争をくりかえさぬようにと平和への祈りを捧げます。
今回はスコットランドの鳩レース協会の会長さんが今年初めて開催するイーペルからの600Km平和希求レースの挨拶にとイーペル市長を訪問されたのでした。その様子をド・ダイフ紙にてレポートするため取材に同行させてもらったというわけです。

バグ・パイプの深遠な響きが胸を打ちます。



欧州の将来を担う若い子がたくさん集まっていました。


グレーのスーツの人がスコットランド鳩レース協会の会長さん、眼鏡でスーツの人がイーペル市の市長さん
平和への意識は当然強く、日本の広島市とは友好姉妹関係にあるそうです。

広島の市長さんから贈られた平和の鐘風鈴。