2014年ベルジアン・マスターファイナル観戦記
驚異と感動をのせて!!!

今年で、第7回を迎えたベルジアン・マスターは、去る8 月19日火曜日、ファイナル・レースを迎えた。そして日本でも、このレースに対する関心は年々高まり、今年は日本からも75羽が参加した。このレースに毎年少羽数ながらも参加している筆者は、今年も日本からの観戦者を交えて、この最終レースの結果を追った。
吉原謙以知
会場がどよめいたのは、トップ・グループの一団が、姿を見せた時である。8羽か9羽の集団が、軽く弧を描きながら、上空から舞い降りた。
8月19日火曜日、午後2時半頃のことである。その一団は、ほぼ一斉に全長90メートルの長い鳩舎の中ほどに舞い降りたが、その瞬間観衆の目は、鳩舎から特設テント内の大型スクリーンに表示される記録表示に移行する。
優勝鳩、オランダのファンヴァンローイ鳩舎の表示が出た途端、歓声が上がった。
http://www.belgianmaster.com/en/asduif.asp
http://www.versele-laga.com/en/Belgian-Master
http://www.deduif.be/dezeweek/2206/detail.aspx
今回のベルジアン・マスターを日本から観戦に訪れたのは、筆者の他、チャンピオン商事の島村正、多摩中央連合会の小笠原悟、埼玉三芳連合会の渋谷勝蔵、細田公雄(以上敬称略)の5名であった。
この内前3者のみが、このレースに参加している。
放鳩前日の夜、我々一行はアントワープ近郊のリール市のレーストラン・フーブケに集まった。何となれば、毎週月曜日の夜は、アントワープ近郊の一流鳩舎が集まっては、飲食しながら、鳩談義に時間を費やすのが恒例となっているからだ。
1週間前には、2人のナショナル・レース総合優勝者も集まって、シャンパンで祝杯を挙げたという。
その席で、我々の鳩を世話してくれているヤン・ヘルマンスが言った。「今年は、昨年と比べて、我々の日本人グループの鳩は、前のレースで昨年の半分しか残っていません。だから余り期待できなくて済みません」
しかも天気は荒れ模様。
「これで明日飛ばせるのかなあ」日本人の誰かがつぶやいた。
「飛ばすよ。フランスは、天気が良いようだ。でも明日も午後からは天気が崩れるという予報だから、多分早朝放鳩になるね」とヤン・ヘルマンス。
これは毎年恒例のことだが、ベルジアン・マスターの場合、現地では鳩の帰還時刻前に、1時間ほどのバス・ツアーが組まれている。昨年は、主催者である飼料会社と、地酒ジェネーヴァの醸造工場のどちらか、今年は飼料工場か、近隣の新設サッカー・スタジアムの見学のどちらかの選択であった。
我々のグループでは、飼料工場を見ようということになった。
翌日、オランダ・アイントホーフェンのホテルを出発したのは9時過ぎであった。
途中、放鳩時間を電話で確認する。放鳩は朝の8時半。早朝ではなかった。放鳩地はツールで、距離は460Kである。
ベルギーのアントワープを抜け、高速道路を西に向かっていると、途中、大渋滞に遭遇した。後で分かったことだが、この渋滞は事故によるもので、このベルジアン・マスターにも様々な影響が及んだ。
そのひとつが、漸く渋滞を抜けて会場に着いた我々を待っていたのが、折角その目的で時間を調整して来たにもにもかかわらず、飼料工場行きのバス・ツアーがキャンセルされたことである。高速道路の事故で、バスが到着しないので、ツアーは、サッカー・スタジアム行きのみ、との事で、我々は参加を断念した。 そこで我々一行は、鳩帰還前の鳩舎を見学する。
ベルジアン・マスターの会場は、ベルギーの東フランドル州ネーヴェレにある。これは主スポンサーである飼料会社が近くにあるからで、高速道路A10のネーヴェレ・インターチェンジからも近い。
会場はふたつに分かれていて、鳩舎区画と観戦会場区画とから構成されている。鳩舎区画は、長さ90メートル、奥行き3メートルの長大な鳩舎と、その前面の庭、脇の事務所から構成されている。
鳩舎区画の前面が当然入舎口となるのだが、庭を隔てて観戦会場区画が設けられている。約2000人を収容する20メートル×40メートルの大型仮設テント内には、観客の椅子とテーブル、ステージがもう得られている。その外にはスナック等を売る売店や、全観客の為の大型駐車場も用意されている。
総敷地面積は5000㎡である。専属のハンドラーは1人であるが、他に獣医のヴィム・ボダールト博士、訓練用ドライバー、その他パートでマチュー・クリッペル以下3名がこのイヴェントに従事している。
我々が特設テント内の会場に入ったのは、まだ来場者も少ない時間であった。
よく鳩舎の見える場所を確保し、ビール等飲み物を飲みながら、時が来るのを待つ。昼食は全員同じバーベキューである。バーベキューを食べているうちに少しずつ人も増えてきた。しかしかなり強風である。それでも近くにいたミル・ファンデンブランデンに聞くと、追い風だという。
それでは高分速のレースか?とも思うが、やはり多くの人々が予測していた通り、若鳩にこの荒れた天気は厳しいのだろう。もっとも早くて1時過ぎだろうの帰還予想時刻はどんどんすぎていった。
多くの観衆は分かっているのである。会場が最初の帰還鳩でどよめいた瞬間には、会場は満員であった。誰もが最初の鳩の到着前に、詰めかけたのである。
優勝者、ジョン・ファンヴァンローイは、現在のオランダ当日長距離界を代表する鳩舎である。オランダ鳩界随一の富豪(長者番付)でありながら、気さくな人柄で、友人も多い。蛇足ではあるが、我々一行もこのベルジアン・マスターの後、訪問を予定していた鳩舎である。
会場正面の大型スクリーンの1行目にファンヴァンローイ共同鳩舎の名前が表示されて、19秒もしないうちに、次の名前が表示された。コージー・ヨコヤマ=ファンダイクの名前である。
我々日本人グループも驚いた。横山孝治氏2度目の2位、しかもまたしてもディルク・ファンダイク氏の鳩である。しかしお祝いを言おうと、ディルク・ファンダイクの姿を探したが、会場に見当たらない。やはりミル・ファンデンブランデンに聞くと、例の交通事故の大渋滞のせいで、会場に来るのを諦め、引き返したのだという。残念なことではあった。
更に数羽の入賞鳩が表示された後に、筆者の名前が出て驚いた。7位ヨシハラ・ケンイチ=リーケンスである。私の鳩を作出してくれたディルク・リーケンスは、この日も例年同様会場ステージでの司会者である。彼が早速私のところに来て、これは前レース段階で、エース鳩候補であった鳩ではないか、調べろという。もしそうなら大変であるが、結果的には違う鳩であった。

優勝者ジョン・ファンヴァンローイ氏(中央)とヤン・ヘルマンス氏(右)

2位鳩作出者ディルク・ファンダイク氏と委託者横山孝治氏
全般的に帰還状況は、決して良くなかった。
この日のプログラムは、歌手セルジオのショー、優勝鳩〜10位の競売、表彰式と続いたのだが、競売が始まるまでの帰還鳩もポツリ、ポツリで、結果、エース鳩も確定しなかった。
オークションは、例年にない盛況であった。優勝鳩〜10位までの10羽の競売結果、63,000ユーロは、史上最高であり、例えば100万ドルレースでの優勝鳩〜10位までの鳩の売り上げが、2万ドル程度であることを考えれば、このベルジアン・マスターに対する評価が、年々高まっているのがよく分かる。筆者のリーケンス氏が作出してくれた鳩も、優勝者ファンヴァンローイ氏が高額で落札してくれたせいで、リーケンス氏も面目躍如である。
表彰式で頂戴したトロフィーは、賞状と違い、確かに名前が入っていないだけ授与する側にとっては便利であるが、小さくとも重く、私は今回帰国するのに、持参を断念した。

ベルジアン・マスターは、ひとつの委託レースを楽しむだけでなく、遠方に住む多くの一流鳩舎が集う交歓の場でもある。従ってオランダのアルヤン・ビーンズ氏のように参加していないにもかかわらず遠方から参加する人も多い。
我々のグループは、早々に引き揚げたが、翌日改めて成績を見てみると、多くの日本人参加者の鳩も帰還していた。
ちなみに筆者の委託した鳩は、ディルク・リーケンス氏、エディー・ヤンセン氏が作出してくれた5羽であったが、この5羽が全て最終レースを帰還出来たのは初めてで、両者に対しては感謝の気持ちで一杯である。